早期英語教育というよりも
私のきらいなタイプは、自意識過剰(too full of himself / herself)の人だ。常に自分を中心に考えるから、チームが組めない。被害妄想はすぐに攻撃に転じるから、つきあいたくない。子供と一緒に、子供の目線で学ぶ父兄は強い。 その日の会場には中学生が20名ばかり集まった。私の心は思考の柔軟な中学生に向けた。ケンブリッジ大学プレスのJohn Letcher氏と、いじめ問題に関して、英語でディベート対談をした。あとで一人の中学生がコメントした。「学校でもディベートをやりますが、先生が生徒にこういうのよ、と反論の仕方まで教えてしまうのでおもしろくない。今日のディベートはガチンコだったからワクワクしました」という。だから、中学生同士のディベート対決は参加者全員が燃えたのであろう。中学生のnative intelligence(生まれつきの知能)はすごい。頑固な大人より、遥かに思考は柔軟。早期英語教育というよりも、ディベートによる早期思考訓練が先だと述べた時、かなりの賛同を得た。一石を投じた。この日のために、ジュリアス・シーザーになって、必死の覚悟で闘ったのがよかった。『ローマ人の物語』を書いた塩野七生さん、ありがとう。その日の日記は、VENI, VIDI, VICI(来た、見た、勝った)、そしてその前に、"道"(MICI=イタリア語にはないが)をくっつけた。心をゼロにすることができたのは、英語の道(ミチ)というspirit(心)のお陰だ。その日の夜は、独りで浅草の回転寿司で凱旋を祝った。クタクタ。しかし、こんな楽しい講演会はなかった。