松本道弘ブログ 元祖ナニワ英語道
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(11/18のつづき)しかし、その夜、私と二人っきりになったときは、元気よく鳴いてくれた。ふとカゴを見ると、一匹が死んでいた。あれは、反抗心からではなく、哀悼の沈黙だったのか。上京し、妹の家に泊めてもらった。が、その時も、一匹のオスが鳴き続けてくれた。このアリアの熱唱で何を私に訴えたかったのだろうか。(つづく)
2010年11月19日
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(11/16のつづき)大阪紘道館では、ITに強いT氏がスズムシをインターネットで調べ、教えてくれた。「源氏物語」のアーサー・ウエイリー訳には、スズムシのエピソードが省かれていますよ、と。このディベートの論題は、映画「アマデウス」をテーマに取り上げた。 ICEE風に、why-because、ディスカッション、そしてディベート。「天才か凡才か、どちらが幸せか」。スズムシは一度も鳴かなかった。(つづく)
2010年11月18日
(11/15のつづき)しかし、軍人のラルフが私のサムライ・トークのインタビュー相手になってくれたときは、スズムシが元気よく鳴いてくれた。ラルフはアメリカの田舎育ちで、虫の鳴き声を聞いて育っているので、スズムシのchirpingsはmusicだという。その気持がスズムシに通じたのか、共鳴してくれたのだ。それ以来、大阪の2回のパフォーマンスを通じて一度も鳴かなかった。(つづく)
2010年11月16日
(11/13のつづき)スズムシの道もゼロ――エゴというものがない。スズムシの術もゼロ――空間から音楽を醸し出す。 しかしスズムシは気まぐれで、センシチヴなところがあり、講演中で一度も鳴かないときがある。不吉。何か起きる。ノーネス・チャンネルのときにも鳴かず、a bad feelingを感じた。TIME(ニューヨーク)のライセンシング部から許可が下りず、第一回目のアップロードができず、私を含め担当者全員の胃がキリキリと痛んだ。スズムシに予知能力があるのか。(つづく)
2010年11月15日
(11/12のつづき)彼らにはidentityは要らない。音楽さえ聴いて頂ければそれだけで満足なのだ。過去のスズムシ、現在のスズムシ、未来のスズムシ。音楽は永遠なのだ。これで毎晩私はスズムシの音と共にペンを走らせることができる。 スズムシは前翅のヤスリと摩擦片をこすり合わせて鳴く。羽が拡声器、ハラとの空間でバイブレーションを効かせる。空を活用する虫。(つづく)
2010年11月13日
(11/10のつづき)NHKが「スズムシの村、松川村」を放映した。全国から注文が殺到し、オスは一匹もいなくなったという。すべての遊女たちはカゴに入れられ、遠くの地へ身売りをされたのだ。 しかし、それで黙っている私ではない。「どうしても、私のファンでスズムシの鳴き声を聞きたいという人のために」とある旅館で哀願して、オスのスズムシ六匹を分けて頂いた。昨年と同じ顔、同じ音楽。(つづく)
2010年11月12日
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(11/9のつづき)私は1940年に生まれた。この紀元2600年に、ゼロ戦が産まれた。私の英語はゼロ戦英語なのかもしれない。ノンフィクション『永遠の0』というタイトルに惹かれて、読んだが、涙が止まらなかった。平成武士道とゼロの思想は切り離せない。再び、スズムシのオスを求めて松川村へ旅立つ。(つづく)
2010年11月10日
(11/8のつづき)私は、英語道高段者を目指すことをやめ、零段とした。浜岡勤元紘道館塾頭の影響もある。 アイデンティティーなど必要としない芸術家のスズムシの影響も受けた。零段となって、身も心もラクになった。(つづく)
2010年11月09日
(11/5のつづき)9月20日(敬老の日)の新聞によれば、80歳以上の人が800万人を突破したという。なんと高齢者人口の23%というから、驚く。老齢者も生き甲斐を求め、ハッスルして生涯教育に勉むべきだ。ふと気づくと、私も70歳の高齢者。しかし、私は生き甲斐を求める必要はない。武士道がある。英語道がある。英語の心、つまり人間の心を求め続ける永遠の「行」は、不快であればあるほど快である。(つづく)
2010年11月08日
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(11/4のつづき)いい想い出は、CNNのラリー・キングとの、1時間にわたる衛星中継インタビューだけだった。ようし、いずれニュースキャスターとしてカムバックしてやる、日本にもラリー・キングは必要なんだ、と自ら言い聞かせながら、カメラ・トークの練習をした。紘道館やかつての名古屋外国語大学のクラスで、ニュースキャスター・ゲーム(The game of anchorperson)を続けた。このように、私には執念深いところがある。いったん心に決めると、青く燃え続けるのだ。(つづく)
2010年11月05日
(11/3のつづき)ニュースキャスターという肩書きを加えた。もう15~6年前だったか、テレ朝の深夜番組(CNN Daywatch)でニュースキャスターの真似事をさせられた。いやな思いをした。若い女性キャスターから、しごかれた。かつてNHKで英語だけのレギュラー番組を引き受けていた私も、まるでカタなしだった。あっという間に終ったが、ニュースキャスターという肩書きは使えなかった。(つづく)
2010年11月04日
(11/2のつづき)ICEEはその上を狙うクロオビ希望者を対象にしたものだから、敬遠されて当然だ。富士山でいえば、日本の英語学習者の90%は、5合目どまり。そこまでは、車でもバスでもいける。それ以上を目ざす人は、self-relianceのルールで自ら律するサムライしかいない。生と死を意識している武士は、ランクなんか気にしない。スポーツ選手にはprofessional jealousyがあっても、サムライには嫉妬はない。日々是決戦。(つづく)
2010年11月03日
(11/1のつづき)クロオビ英語とシロオビ英語の違いはどこにあるのですか、とニューヨークのジャパン・クラブで質問を受けたことがある。もう20年も前のことで、どう答えたか忘れたが、たしかこう答えた。帯刀が許された、震えた、使えなくなった、そう考えれば、初段。クロオビの第一歩。身震いもせず、やったあとガッツポーズをしている間はまだシロオビ。1級以下。この辺りの英語の使い手はウジャウジャいる。日本の英語検定試験はここで止まっている。(つづく)
2010年11月02日
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(10/30のつづき)いじめられた人間は強くなる--耐えればの話だが。いじめっこは、本来卑怯で、弱虫だから社会で没落する。Crisis is opportunity.(ピンチはチャンス)なのに。日本は英語ができすぎると、いじめにあう。ヘンな社会だ。私などいじめられっぱなしだ。Nextをネクストと日本人好みのカタカナ発音すれば、友達ができるが、帰国子女のようにネクスッと発音をすれば、嫌われるか、いじめられる。出るクイは打たれる。打たれたくなかったら、もっと勢いよく飛び出ることだ。ノーネス・チャンネルはそんな人のための上級英語インターネット・テレビ番組なのだ。(つづく)
2010年11月01日
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(10/29のつづき)平成武士道を書くにあたり、類書はすでに百冊近く読んだ。ICEEに参加する人は全てサムライだ。サムライは不快を避けない。友人の戸塚宏氏は、人は快を求めて、不快を避けるからアカンのや、と仰る。その通り。戦後教育は、tough love(愛のムチ)を禁じ、体罰を唱える戸塚氏を犯罪者として扱った。もったいない。私などは、体罰で鍛えられた人間だから、人間力を鍛えるチャンスを奪った戦後教育を恨む。ノーネス・チャンネルで、TIMEが扱った「いじめ」問題を取り上げ、内容と英語を解説した。(つづく)
2010年10月30日
(10/28のつづき)勝も敗も生も死も超越した、お祭り、そして「遊び」の空間だ。人生最大の遊びとは、死んだ気持で挑む真剣勝負のことだ。國弘正雄先生から勧められたボイジンガーの「遊戯人間=ホモ・ルーデンス」に多大な影響を受けた。「英語は音読か速読か」というテーマで國弘先生とは衝突したように見えるが、根っ子のところでは、しっかり結びついている。それは、英語道(English as a way of life)だ。(つづく)
2010年10月29日
(10/27のつづき)甲子園の土を踏むだけで名誉なのに。「このテストには敗北者はいない」というのは表向きのメッセージだが、敢えてホンネをいえば、Nobody wins.(だれも勝てない)なのだ。死への儀式ともいう。地検、水検で落ちた人も、残った人のパフォーマンスを見続ける。そして学ぶ。途中で帰る人もいない。英語のエンタテを最後までエンジョイしている。こんなテストは他にない。「死への儀式」とは、「恥」をかく通過儀礼でもある。(つづく)
2010年10月28日
(10/26のつづき)ICEEという世界唯一のインタラクティヴな実用英語検定試験は、たしかにnation's toughest test、あるネイティヴは、sink or swim testだと表現していた。成績が問題ではなく、そのプロセス(道)が肝心なのだ。おっかない。たしかに。だから、Nobody loses. だれも敗北者はいない、という。ここまで言わなければ、ペーパーテストで育った日本人は、ICEEの土を踏もうとしない。(つづく)
2010年10月27日
(10/25のつづき)執念深さ--ICEEというお祭り(一種の英語検定試験)を今も続けている。30年前に、英語道検定試験(道検)としてスタートさせたが、ネーミングに問題があったとみて、敬遠された。私のやることには、華々しさがなく、カンムリはつかない。まるで忍者の検定試験のようなものだ。そんなものはない。死を常に覚悟している忍者はすべて有段者(クロオビ)なのだから。(つづく)
2010年10月26日
(10/23のつづき)政治家ではなく、武道家としての私は、公約を破ることは、"恥"になるので、自己との挑戦は続けざるをえなくなる。スポーツの世界と違って、武道(英語道は武士道の延長)には、引退はないのだから。 「スミマセン、あのときはあのとき、若気のいたりでして」と前言をひるがえすことはできない。私は欠陥の多い(多すぎる)凡人だが、いったん何かを始めるとブレーキがきかなくなる。一見天才のように見えるが、それは錯覚で、辞めることを恐れる、気が弱いのに、執念深いただの人間なのだ。(つづく)
2010年10月25日
(10/22のつづき)思えば長い道ノリだった。40代前半、NHKから離れ、70でメディアにカムバックするまでまさに茨の道(a bumpy road)で、何度も挫折した。やはり歳には勝てぬか、と歎いたものだ。しかし20歳の前半で、ナニワに英語道場を創設した時から、生意気にも「道とはgrow youngerのことなり」とトランペットを吹かしてたものだから、逃げられない。これは私にとりマニフェスト。政治家ではなく、武道家としての私は、公約を破ることは、"恥"になるので、自己との挑戦は続けざるをえなくなる。(つづく)
2010年10月23日
この有料番組(月500円)は、1.Watch TIME(カバーストーリーの解説)、2.Power English(その週のTIMEの斬れる表現を、内容と共に解説する)、3.サムライ・トーク(アクの強い私の時事解説。ときにはゲストを招き)。各10分でトータル30分。毎週変わるトピックと英語を料理するのだから、私にとりこれはkiller job(天職)に近い。私の気迫(killer instinct)が試されているのだから、ワクワクする。その代わり、超多忙ゆえ、旅に出にくくなる。ブログ愛読者に向けて語りかけるように、バイリンガルでやりますので、ぜひ話相手になって下さい。(つづく)
2010年10月22日
(10/20のつづき)10月からNONESチャンネルでインターネットTV番組「TIMEを読む」が始まった。70歳で必ず復活してみせると公言してきたが、実現できて嬉しい。37歳で日本から一歩も出ずにNHK教育テレビ番組で英語オンリーのインタビュー番組に出たときから40歳前半までの私は華やかなスターだった。降板してから、徐々に忘れられる存在になっていった。ラジオ時代の松本亨、テレビ時代の國弘正雄、そしてインターネット時代の松本道弘としてカムバック――できれば日本のラリー・キングとして――するのだと言い聞かせて、もう十年になる。(つづく)
2010年10月21日
(10/18のつづき)今の日本はまさに、leadership crisisの真っ只中である。英語を日本刀とすれば、日本の精神は復活する。ICEE精神を日本全土に広げよう。 活火山の私は今も噴火し続けている。その間に、ブレーク。親友の塩入君と、道後温泉の「ぼっちゃんの湯」につかって、息抜きをするか。(つづく)
2010年10月20日
(10/16のつづき)西郷隆盛は、休火山から活火山となった。再び桜島の温泉(太古の湯)で考えた。私学校――西南の役。学問とは恐ろしいものだ――志があるだけに。 英語道の母胎は、武士道。今、乱世、出でよ、島津斉彬の如き名君!(つづく)
2010年10月18日
(10/15のつづき)8月25日、鰻温泉で、西郷隆盛の霊と語り合った。佐賀の乱で敗れた江藤新平がここへタカモリを探し求め、激論を交わしていた。これ以上は「武士道」に譲るが、この鰻温泉の少しあと、私学校を建てたのだ。私塾――この教育機関は志とともに産まれた。(つづく)
2010年10月16日
(10/14のつづき)秋田の佐藤直人君(能代の縄文人)が、やっと土から芽を吹き出した。雪融けが始まった。十日間の九州旅行に戻る。スズムシとの旅は楽しかった。島原で感じた。平成大噴火からインスピレーションを得た。自然力。平成新山とは何か。母なる雲仙・普賢岳から産まれた健康優良児だった。火山は母。マグマは精子に非ず、卵子なり。私の芸術家人生は活火山史そのもの。8月24日の日記はいずれブログで公開する。かつて「0の発見」(今は絶版)で触れた、ゼロ・パワーは、今の「平成武士道」を動かし始めた。山は活きていた。(つづく)
2010年10月15日
(10/13のつづき)秋田の佐藤直人君(ICEE元チャンピオン)よ、東北の地に、英語道私塾紘道館を創設してくれないか。大学が花の美しさを意識し、萎むことを恐れている間、草の根の英語道は、密かに根を日本全土に張り巡らせている。(つづく)
2010年10月14日
(10/12のつづき)新渡戸稲造は恐るべき東北のサムライだ。どうやら東の武士道と、西の武士道とは、少し温度差があるように思える。 この秋は雨か嵐か知らねどもけふの努めの種をまくかなこれは、一「所」懸命に働く、東北の武士道の心意気を歌ったもの。(つづく)
2010年10月13日
(10/11のつづき)晩年の母を背中におんぶした真之は、親孝行であった。兄の好古は、弟に関して述べた。「弟は、お国のためと死ぬまで言い続けていた。これだけは言える」と。 平成武士道のペンも進んできた。ふと松山を訪れたとき、50年間の旧友、塩入君(東雲女子大学名誉教授)が、ここには、秋山兄弟生誕の地があるといって、案内してくれた。(つづく)
2010年10月12日
(10/9のつづき)ロシアのバルチックを破る戦略を描いた秋山真之(絵が巧かった)は、尊敬する兄(好古)と共に、恐れた共通の人物は母であった。真之の腕白に手を焼いた母は、13才の頃の真之を呼びつけ短刀を置いてこういった。「私が先に死ぬから、お前も死ね」と。日露戦争に出征する前に母はまた手紙を置いた。「お前が国のために、まじめに働かなければ、私にも覚悟がある...」。こんなおっかない手紙を懐から離したことがなかったという。(つづく)
2010年10月11日
(10/7のつづき)富とは何か。渋沢栄一や、川村緑博士のような研究者は、富の定義でも一致している。足るを知れば貧といえでも富。これだ。Lessで満足。これがネアカ。Moreを期待していたのに、あなたと一緒になってからはlessばかり、と愚痴る人が多い。この「のに」を除けば、禅になる。Accept yourself. それでいいじゃないか。これが武士道の基本。武士には「のに」はない。武士の妻にも「のに」はない。だから、真の武士はこぞって女の方が強いという。(つづく)
2010年10月09日
(10/6のつづき)ところで、パトロンとなる成功者は全力投球(give it 120%)するタイプ。与えられた仕事(100%)以上やらない人は成功しない。成功者は、給料以上の仕事をやってのける。Give it 120%. 20%はリスク。自己責任。ナポレオンヒルに聞くまでもない。私の経験からしても、成功者は全てネアカ。与えられた仕事を100%でなく、120%に挑む--私のように。(つづく)
2010年10月07日
(10/5のつづき)しかし、財務担当者はそう甘くない。Devil's advocateを演じるために嫌われ役になる。かつてMDI(私がCEO)のときの経理担当者の妹(奥村幸子)といつもこのことで衝突した。もう二度と社長はやりたくない。芸術家が求めるのは、社員ではなくパトロンなのだから。(つづく)
2010年10月06日
(10/4のつづき)なぜネガティヴ思考がいけないのか。渋沢栄一は、自己中心的だからだという。思い当たる。失敗しても立ち上がれというネアカに対し、ネクラは成功した人の足も引っぱる。どうせ、そこで得たお金は、また使うんだろうと、これでは周囲が暗くなる。ネアカは、この失敗をバネにしてがんばる。再び成功すれば、家庭だけじゃなく、自由に使える軍資金が入るのだと、これがネアカの参謀。(つづく)
2010年10月05日
(10/2のつづき)渋沢栄一に会いたくなった。彼はネアカ経営者だ。お金が向こうからくる有徳の士とはかくなる人か。氏曰く「悲観的な人は残酷である。自己中心的になるから」と。ネクラ(オバマのきらいなcynics。冷笑家)は、周囲も暗くさせる。この人はポジティヴ思考の人を嫌う。暗く暗く、現実を悲観的にみる。生い立ちに恵まれていない人に多い。なぜネガティヴ思考がいけないのか。(つづく)
2010年10月04日
(10/1のつづき)ICEEの発案者は、今も紘道館をバックに今年もやる。紘道館元塾頭の菊池武晴君が今年のコマンダー(委員長)。(霊)は、この私。私は天皇か鬼か。このORという発想(英語で考えるとはorで考えるディベート思考)は日本人には苦手。日本的志向はAND。A and Bだから、ディベートが苦手。これではローカル思考のままで終る。やはり、ディベートだ。将来、私塾国際ディベート大学を建てたい。今から有志そして有徳の士を募っている。公の心で挑む。(つづく)
2010年10月02日
(9/30のつづき)勝っても負けても楽しい、ネアカ。健康になる。私のように歳はとらない。私のgrow youngerの人生は、70歳から「実り」の季節を迎える。老いて益々さかん(going strong at my age)。サムライには定年はない。いつまでも現役のまま。スポーツにはシーズンがある。武道には、ない。日々是決戦。(つづく)
2010年10月01日
(9/29のつづき)竹田恒泰の本から天皇も怨霊になることを識り、背筋が寒くなった。松本家にも怨霊がウヨウヨいるからだ。平成武士道を書いていると、生霊と死霊との違いがわからなくなってくる。隣のスズムシもそうだそうだと歌う。啼く?鳴く?泣く(cry)?哭く(weep)?こういう問題は、検定試験には出ない。だが、楽しい。「だが」ではなく、「だから」楽しいのだ。パスしないぞ、と、恐怖のために、説得されて考えるのではなく、納得して考えるのだから楽しいのだ。思考のよろこび。負けてより多くを学ぶよろこび。これらがICEEの精神。(つづく)
2010年09月30日
(9/28のつづき)私はscientistでもある。よくディベートにより、実験そして検証を行なう。シャーロック・ホームズは相棒のワトソン博士に、「見るんじゃない、観るんだ。Observeするんだよ」といった。辞書には、虫の声は外国人にはnoiseと書かれていても、丸呑みはしない。これからのグローバル化に期待される。ディベーターはサムライのようにクールなのだ。(つづく)
2010年09月29日
(9/27のつづき)ロウソクの話から、多くの哲学が生まれた。ICEEのいう「和」(Competitive-cooperative spirit=祭り)の精神も、すべてスズムシの音楽理論から一歩も出ない。外国からもICEE参加者が増えてくると思うが、国際教養大学(私も一応客員教授)でのディベート教室(7,8カ国の交換留学生がいた)で、私は生徒たちから学んだ。全ての外国人にとり、スズムシの鳴声がnoiseでないことを。(つづく)
2010年09月28日
(9/25のつづき)今年も、スズムシとの旅は続く。遊読は進む。遊読、遊学にはカネがかかる。なぜこう軍資金がかかるのか。本と車代。旅人はつらいよ--家庭が必ず犠牲になるから。8月14日、車中で、ファラディーの『ろうそくの科学』(古本でわずか250円)を読んだ。試験のために読む本ではないから、ウキウキする。ろうそくの炎は、燃焼して、水に戻る。水はまた燃え上がる。火と水は、仲がいいから反発もする。私が世界平和のために広げたいサッカー・ディベート(その六角ロジックのエッセンスは近々発売予定の『(一時間でわかる)ディベート』で紹介したので、参照されたし)の火と水のロジック相互補完性だ。(つづく)
2010年09月27日
(9/24のつづき)日本人の英語力は高3がピーク、大学の4年間で、低下し続ける。海外の大学は違うが。大学のいいところは、人脈(一流大学なら)だ。もっと知名度低い大学なら、4年間通い、卒業したという虚栄心と、「集(つど)いの喜び」。この学校で学んだものは、クラスメート。友達ができた――だから、TIMEは読めない。TIMEを読むとは、自己との孤独な戦いである。友達の数とは反比例する。それは術友(数で測れる)。しかし、英語道でいう道友は違う。オレもやるからオマエもやれ――これが相乗効果を産む。だから、私塾の方が人間力と共に英語力を培う方法としてはベター。(つづく)
2010年09月25日
(9/22のつづき)私の授業は続く。日本人にTIMEが読めない理由は3つある。1.英語力(学校や検定試験では証明されない。英語によるコミュニケーション能力) 2.情報力(TIMEが読めない最大のブロックは情報。日本語でも本を読んでいない人が、いくら英語単語力が優っていても、スラスラ読めることはない。絶対に)3.人間力(続けられるか。気まぐれな人間は、TIMEがツンドクになる)――TIMEを読めといっても、だれも読めない。(つづく)
2010年09月24日
(9/21のつづき)初めての菱研のTIME大学にもスズムシが登場。半田晴久総長が眼前の虫カゴをコツコツと叩く。鳴かせようとしても鳴かないのがスズムシ。たとえ相手が、天才オペラ歌手であっても、日本の伝統芸の達人であっても、英語武蔵であっても妥協はない。「ああ、鳴いたよ」とはしゃぐ、半田社長。スズムシがこの天才経営者の魂と童心をゆさぶったのだ。(つづく)
2010年09月22日
(9/20のつづき)10月からノーネスチャンネルでTIMEをWatchしたい人のための、私のレギュラー番組『TIMEを読む』が始まる。ニュースキャスターという帽子をつける。大学と私塾の闘いが始まった。これが血生臭い「西南戦争」に発展することは、まずない。私にはスズムシという恐ろしい参謀がいる。二枚の翅を摩擦させることで、音楽を産むのだぞ、雑音にしちゃいけないよ――。は――い。(つづく)
2010年09月21日
(9/18のつづき)この信用がご縁となり、私塾TIME大学を日本全国に広げようと考えている。今の大学(4年間)の授業では、だれひとりTIMEを読みこなすことはできない。国際なんとか大学でもムリだ。だから、私塾なのだ。これなら、私の信念と英語道哲学で私のペースで(学長や文科省の役人の眼を恐れずに)進めることができる。実学としてのTIME。そしてTIMEから学ぶ世界情勢と格調高き英語。そのために、10月からノーネスチャンネルでTIMEをWatchしたい人のための、私のレギュラー番組『TIMEを読む』が始まる。(つづく)
2010年09月20日
(9/17のつづき)菱研が私塾TIME大学(TIMEのお墨付き)を開校した。もちろん私が学長。自らTIMEの英語と情報を学びたいと受講を希望した半田晴久が総長としてスポンサーになってくれる。これまでニューズウィーク派であったみすず学苑がTIMEに衣替えしてくれたからうれしい。たしかに、ニューズウィークは、より日刊紙的だから、読みやすい。ホッとする日本人の気持はよく判る。しかし、英語の鬼(英語界の武蔵)との異名を持つ私は、TIMEを伴侶と決めた(参照『同時通訳』角川学芸ブックス)。浮気はしない。これが信用となり、TIMEの方でも私を裏切らない。ICEEのスポンサーでもある。(つづく)
2010年09月18日
(9/16のつづき)私はICEEという土俵を与えたまでだ。甲子園の土を踏むつもりで挑戦してみないか。お祭りだから、参加者全員が合格するというユニークなテストだ。今、グローバル化を目ざす大企業の多くが、英語の社内公用化を真剣に考え出しているという。実用英語格闘時代が始まる。ICEEという世界で初めての唯一のmotivational test(動機づけになるコンペティティヴなお祭り)に参加してみないか。私を見守るスズムシ君たちも連れていきたい。(つづく)
2010年09月17日
(9/15のつづき)ICEE祭りはもう四半世紀近く、続けてきた、英語実技検定試験だ。筆記試験だけで育ってきた日本人の中にも勇気があるサムライがいる。元アルクの松本アカデミア担当の前田君だ。彼は何度もTOEICを受け、何度も満点(990点)をとり、今では英雄。 しかし、「満点を超えて」という本を書くなど、英語道の精神を忘れていない。私が彼を英雄にしたのではない。あくまで彼の自由意志だ。神戸から単身上京し、ICEEを受けた――何度も。級?段?そんなものは関係ない。単身で乗り込む気概と勇気が、彼を自立させた。(つづく)
2010年09月16日