ささやかな会話と・・・
先月のある暑い日のこと、スペイン語の講師をしているというグラナダ出身の人物との知遇を得た。わずかな時間ながら、彼が他者に対する気配りやケアを大事にする人間であることはかなり鈍感な僕でも気が付く、そして それらのケアは 使用言語にまで活用されておりスペイン語を話すべきか 日本語を話すべきかは相手の状況を見定めながら選択している様子だった、例えば 僕がスペイン語で話しかければ スペイン語で応答し、僕が ちょっと うーんこれは判らないかな・・という時はその状況を瞬時に察して 日本語に切り替えるという具合で、おかげさまで くつろいだ気分で会話を楽しんだのだが、語学を学ぶ、教えることについて 彼はこう述べた「そうだね 一歩一歩 階段を登るようなものだね、一度にたくさんは登れないし、仮にどんどん進んでも必ず落とし物に気が付くから、そこで戻らなければならないね、それが近道だね・・」とそして「君も ギターを教えているのだから それは全く同じことであるのが理解できるでしょう?」とも確かに 僕もほぼ同意見だ、何かを学ぶということへの 基本的な姿勢はそれが何であれ 大きくは変わらないグラナダについて僕はこう尋ねてみた,「グラナダの風景や佇まいは ある種の完璧さがあるように僕には思える、多くの人がそれに魅了され そこを訪れ、そして住みたいと願うそして 僕もその一人だった、なのに あなたはなぜ そこを離れたのでしょうか?」と彼は 満足したような笑顔で大きく頷きながらこう答えた「だからこそ旅に出ることを欲した つまり 離れなければいけなかったのだ・・」となるほど・・・・空間の物理的な移動とは別の意味で、その在り様そのものを僕は「旅」と呼びたい。 そして それは、恐らくは「生きる」と同義なのだろう彼の家の片隅にあったグラナダの陶器が青く輝いていた.