日本の「語り芸」そして物語
ふと思う事があり久しぶりに 司馬遼太郎さんの作品集からある短編を読んでいます先日、縁があって浅草で「浪曲」「講談」を拝聴する機会に恵まれました!自国の伝統芸能なのに、気楽に足を運ぶ場も少ないせいかなかなかそれを生で聴く機会も多くはないのですが今回は実に集中して体感してきましたいやはや 声を通した物語というものは実に興味深いですね!映像が存在しない分 観衆の各々がその物語のシーンを描く余白と自由さもあり、また演者の熱量もさることながら、観衆の空気を掴むコミュニケーション能力のあり様についても様々考えさせれらるところですまた、語られる物語も各々が個人のペースで文字を読む文学ではなく「語り芸」であることから演者、観衆共に体力と集中できる時間加減を承知したうえで、内容を吟味し切り口も含めて構成もされていくのでしょうか今回、壇上で語られたオリジナル演目に「人斬り以蔵」という作品がありました。司馬氏著の同作も文字で読みつつ読み手、書き手によるそれぞれの物語の切り口、そして視座も含めてこの辺りを俯瞰する思考体系は音楽にも通ずるところでこの点も実に興味深いところですね人斬り以蔵 (新潮文庫 新潮文庫) [ 司馬 遼太郎 ]