世界のドキュメンタリー「ウッドストック」
そもそも大金を相続した若者が発端だった。ウォール街で働いていたが何か違うと感じていた。そこで、ウッドストックでスタジオを経営している男と知り合い音楽レーベルを立ち上げることになった。そして、景気づけにコンサートをやることになった。そのアイディアが膨らみに膨らんで、かの伝説的ウッドストックフェスと相成った。当初は、精々、2、3万人の予定だった。(結果的に50万に膨らんだ)場所も抑えた。だが、ヒッピーまがいのスタッフが集まりだし、保守的な町の人々が嫌がりだした。結局、追い出される。別の候補地を必死に探すと、共和党支持者だが言論の自由を尊重する比較的リベラルな農場経営主ヤスガーが賛同した。町の人は、「ヒッピーに賛同するヤスガーの牛乳を買うな」という看板を立てた。前の会場を断られ、最初から会場を作り直したので、土壇場になり、「ステージを作るか」「フェンスを作るか」の選択になった。フェンスがないと客から金を取れない、だが、ステージがないと、ヘタすると刑務所にぶち込まれる。ステージを取るしかなかった。コンサートが始まる前、膨大な観衆に向かい、「フリーコンサートになった」と告げたシーンは感動的だった。facebookのザッカーバーグが、生涯を掛けて自分の資産の99%を社会貢献に使うと宣言したのと同様、最も美しい大金の使い方だろう。1日目はフォークデイだった。2日目のロックンロールデイで観客数は更に10万人増えた。無名だったサンタナが観客を熱狂させ、スライ&ファミリーストーンのパフォーマンスは素晴らしかった。だが、3日目の、ジミ・ヘンドリクスによる、「The star spangled banner」が圧巻だった。あれは、私にとっても、ロックギターソロの最高峰だ。良い事ばかりではなかった。ドラッグのオーバードーズで体調を崩す観客が続出し、2日目には食料も尽きた。しかし、郡のヘリコプターが医師を運び、周辺の住民が食料を提供した。ホッグファームというボランティア団体がそれを配った。「愛と平和の3日間」は終わった。現在の社会がいくら利己主義と独善性による憎悪に満ちた排外主義の世であろうとも、それは人類史に刻まれた。