ウィトゲンシュタイン 「青色本」
ヴィトゲンシュタインは非常に難解だ。問題を解くほぐす為、次々例を挙げるがそれがまたどれも解り難い。だが、ドゥルーズのように、わざと答えをはぐらかされているような不快感は無い。「様々なゲームを貫く規則は無い」「それらにはただ家族的相似性があるだけである」これはオッケーだ。言語使用もゲームとして捉えるならそうなるだろう。「言葉の意味はその使用である」「一つの語の意味は誰かが与えたものである」これもそうだろう。普通の人が話す言葉が凡庸なのはそれらが皆同じだからである。若者言葉のような新語のメカニズムも単純である。示す意味もごくありきたりだ。それらが本来示したい意味は「これを使うものは若い」だろう。ともあれ次の例は解り易かった。「定規とコンパスによる角の三等分の不可能性の証明は角の三等分についての我々の観念を明瞭にするものだ、と言いたいところである。しかし、その証明が与えるものは新しい三等分の観念である。(中略)この証明は我々をもと居た場所から連れ去ったのである」そうとも。私は常に私が居る所から連れ去ってくれる芸術、学問、スポーツを求めている。