パワースポット 福岡県1
パワースポット 福岡県1 本日は戦後70周年目の「終戦記念日」です。この大戦により犠牲になられた多くの御霊に、御冥福を御祈り致します。 今回ご紹介するのは、福岡県です。パワースポットというより、 日本人として知っていて、いやそれよりも 知らなければならない場所です。 私はこの存在を知った時、最初に感じた事は 日本の女性は真に強いです。次に感じた事は 今の大韓民国、中華人民共和国とは、永久に真の友好などあり得ないです。以下の文は、初めて知る方には、嫌悪感を抱いたり、私の感覚を疑うかも知れません。しかし、筆舌し難い苦しみを味わった日本人女性の尊厳と、手術を担当した医師の葛藤・無念さを思えば、私は「喜」が「鬼」にもなります。「二日市保養所(ふつかいちほようじょ) 福岡県筑紫野市二日市町にあった厚生省引揚援護庁の医療施設。ここでは、レ△プ被害に遭った日本人女性(引揚者)に堕胎手術や性病の治療を行った。開所に至る経緯終戦直後より在満・在朝日本人は塗炭の苦しみを味わうことになった。追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むことなく無念のうちに斃れた者も少なくなかった。これに加えて女性は、朝鮮人やソ連兵、中国人[1] 等による度重なる強カンを受けた末、心ならずも妊娠したり、性病に罹ったりしたにもかかわらず、何ら医療的治療が施されずにいた。そして強カンにより妊娠・性病罹患した女性の中には、これを苦にして自殺する者が少なからず出た。釜山日本人世話会による1945年(昭和20年)12月 - 1946年(昭和21年)3月の調査では、調査対象者885人のうち、レ△プ被害者70人、性病罹患患者19人、約1割が性犯罪の被害に遭っているという数字が示された。在外同胞援護会救療部では、引揚船に医師を派遣し、引揚者の治療に当たったが、殊のほか女性の性的被害が多いことに愕然し、早急に専門の治療施設を作る必要があると上部に掛け合った。こういう経緯で、1946年(昭和21年)3月25日に「二日市保養所」が開設されることになった。医師は在外同胞援護会救療部員(旧京城帝国大学医学部医局員によって構成)が担当した。」ウィキペディアよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%97%A5%E5%B8%82%E4%BF%9D%E9%A4%8A%E6%89%80 二日市保養所跡に残る水子地蔵と記念石 「医は仁術(意味:医術は単なる技術ではなく,人を救う道である)」という諺がありますが、終戦後間もない全ての物質が不足の中で、患者の身の上を知り、当時、違法とされた手術を行わなざるを得ない医師の精神的苦痛(女性の尊厳を守るため、臨まれない生命を奪う手術)は、はかり知れません。 ただし、戦後生まれの私が意見するのは恐縮ですが、この件は全てが被害者であり、加害者(国策であったとしても、中国大陸や朝鮮半島に移住しなければ、回避できた被害であり、移住された側にして見れば占領としか見えない)でもあると思います。自称従軍慰安婦、金福童 自称従軍慰安婦、黄錦周 慰安婦像 上記のような、たかり行為(慰安婦は、吉田清治のねつ造)をする人間がいなくなれば、互いに歩み寄れると思いますが・・・ この石の裏には 二日市保養所の経緯が彫られています。私がこの場で、鎮魂法を行っても「たまゆら」を感じられませんでした。この石碑、建立に関わった人達の「残留思念」のような極僅かな「想い」だけでした。 「後世、このような悲劇が繰り返されないように、この石を語り継いで欲しい」という想いでした。そこで、本来はここの正確な住所を掲載して、心ある方に巡ってもらいたいのですが、お隣の国には、靖国神社に放火したり、池に放尿したり、対馬で仏像を盗んだりと、竹島を占領したりと自分達の都合で行動する輩が多く、ここも破壊の標的になりかねませんので掲載しません。 ヒントは済生会二日市病院周辺です。