パワースポット 沖縄県(オイカワイタチ・渡邊大起)
パワースポット 沖縄県(オイカワイタチ・渡邊大起) 本日、御紹介する内容は、前回に引き続き、日本初の金星人のコンタクティー渡邊大起が記した著書 宇宙からの黙示録-オイカイワタチとは何か渡辺大起の中に出てくる「沖縄ひめゆりの地・鏐球王国の儀式」の再現です。毎度、繰り返しですが、私、喜四郎は、国祖国常立大神様を奉ずる者であり、金星人やニビル星などの外来神を警戒しているので、本来は関わりあいがありません。今回も「浅野和三郎の再臨」、浅川嘉富氏が私、喜四郎の助言も聞き入れず、当時ご自身が思われた活動をされていたので、代行して行ないました。「金星人大好き」で、「沖縄県久高島」にも当時、何度も足を運ばれ関連書籍も出筆された方なのに、非常に残念だと私、喜四郎は思いました。 それでは、まず「ひめゆりの塔」についてです。住所 沖縄県糸満市字伊原671-1概要・ひめゆり学徒隊(ひめゆりがくとたい)とは、1944年12月に沖縄県で日本軍が中心となって行った看護訓練によって作られた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成されたものの名前。・米軍の沖縄上陸を目前に控えた1945年3月23日、学徒隊は、沖縄陸軍病院(通称・南風原陸軍病院)に看護要員として動員された(ただし、強制ではなく志願)。沖縄陸軍病院は沖縄守備軍(第32軍)の直轄で、本部、内科、外科、伝染病科に分かれており、40近くの横穴壕の土壁に2段ベッドを備え付けて患者を収容した。米軍が上陸して前線の負傷兵が増加するのに伴い、内科は第二外科に、伝染病科は第三外科に変更され、那覇近郊の一日橋、識名、知念半島近くの糸数に分室がおかれた。学徒隊は全員が分散配置された。 しかし、敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、翌日の6月19日をはじめとする約1週間の間に多数の犠牲を出した(死亡者のうち実に80%がこの間に集中している)。最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決している(自決の強制性については論争あり。また隣の洞窟でも米軍の銃乱射で3名が死亡、3名が重傷を負った。 戦後、最大の犠牲を出した伊原第三外科壕跡に慰霊塔である「ひめゆりの塔」が建立された。ひめゆり女神像ひめゆりの石造 戦争の悲惨さから、平和の祈りとして作られた物のはずですが、私、喜四郎には、単にそれだけではない違和感を感じました。真夏なのに、鳥肌が立ちました。献花して、深く御霊鎮めをするだけでした。当時、私、喜四郎の未熟な鎮魂帰神法をこの場で、行うことなど危険過ぎてできませんでした。 しかし、世の中にはhttps://www.youtube.com/watch?v=uJkPdpJ-qYsのような、何を考えているかわからない奴らもいるので要注意です。 とりあえず、平成20年当時、私、喜四郎の能力の範囲内で「沖縄ひめゆりの地・鏐球王国の儀式」を実行しました。やはり、外来神です。このような場所を指定するのは、普通では考えられません。私、喜四郎が未熟なだけかもしれませんが。沖縄旅行なら↓↓↓航空券・宿・レンタカー付きツアーがお得