聖書「創世記」
聖書「創世記」 聖書「創世記」のいわゆる「失楽園」の内容は、「蛇に欺かれたエバが、エホバ神から食べる事を禁止された知恵の樹の実を食べ、更に夫のアダムにも食べさせ、2人とも裸でいる事が恥ずかしい事に気付き、木の葉で腰覆いをした結果、エホバ神から禁忌の実を食べた事を察せられてエデンの園から追放された。」というものです。 単なる神話の話のようにも思えますが、進化論から考察すると昔話と断じることが出来ないこと気が付きました。 「それに対して蛇は女に言った、「あなた方は決して死ぬようなことはありません。その木から食べる日には、あなた方の目が必ず開け、あなた方が必ず神のようになって善悪を知るようになることを、神は知っているのです。」聖書「創世記」第3章4~5節 「すると、その二人の目は開け、ふたりは自分たちが裸であることに気づくようになった。そのため、彼らはいちじくの葉をつづり合わせて自分たちのために腰覆いを作った。」聖書「創世記」第3章7節蛇にそそのかされた結果、飛躍的に脳が開眼あるいは知恵が付いたという事です。 シュメール文明から発掘され像の中には「赤子を抱く蛇神」まるで、蛇が人類の第二の生みの親というメッセージなのでしょうか? 本題の進化論である「ダーウィンの進化論」についてです。この理論は「人間は猿から進化した」というものです。人間は他の生物に比べて、極短期間で進化を遂げ、人間と猿との間にその中間の祖先がないと、どうしても繋がらない、「ミッシングリンク(人類進化の空白期間)」があり、人類史最大の謎としています。 加えて、ダーウィンですら「進化論に一番当てはまらないのが人間である」と語った逸話もあり、共同研究者のアルフレッド・ウォレスは「猿から人間が誕生することなどあり得ない。『猿は猿』であり『人間は人間で』変わりはない。」と断言した逸話もあります。 つまり、聖書「創世記」に登場する蛇が、シュメール神話のアヌンナキを指すと仮定すれば、進化論の「ミッシングリンク」の謎も遺伝子改良された為と、解けるわけです。 ただし、旧約聖書はシュメール神話を真似ただけという説があるほど、類似した点が多数あります。そうするとプロトタイプ人類を創造したのは、エホバ神と考え辛くなります。勿論、私、喜四郎はキリスト教の創造主が人類を創造したとは、全く考えていません。 やはり、人類を創造したのは、「日月神示」に登場される国祖 国常立大神 様であると考えます。