【静岡】浜松八幡宮 ~椿姫観音 ~元城町東照宮 ~出世城?の浜松城
浜名湖から浜松に戻り浜松散歩まずは乗りたかった「遠鉄」!って、写真撮ってない似非撮り鉄🤤遠州鉄道西鹿島線の「八幡駅」でおります徒歩1分は嘘ではなく… すぐそこにある中心部にあるのに緑溢れる森に鎮座する浜松八幡宮へまいります(参り?詣ります?)「仁徳天皇の御代、遠津淡海の鎮静のため海運の神として知られる玉依比売命をお祀りした」と伝わる許部神社(こべじんじゃ)として建立?後に源義家公により源氏の氏神である八幡二柱の神が勧請され多くの武家庶民の祟敬を集めました そうな…徳川家康公は浜松城の鬼門に位置するこの八幡宮を鬼門鎮護・開運招福・武運長久の神として篤く信仰し、度々参拝したと伝えられているんですってすばらしいのは御神木、雲立楠社殿の前に聳える雲立楠は樹齢1000年超!巨樹は根回り約15m。枝張り四方約25m樹高約15m、幹の下部には大きな空洞があります源義家公が参籠の折りに、樹下に旗を立てて八幡二柱の神を勧請したことから御旗楠と称され元亀3年(1572)三方原の合戦において甲斐の武田信玄に敗れた徳川家康公が武田方の追っ手を逃れて八幡宮境内へたどり着き楠の洞穴に身を潜め、難を逃れた …とか「その際、洞穴の中で家康公が一心に八幡神を拝すると楠より瑞雲が立ち昇り、神霊が白馬に跨った老翁の姿となって浜松城へと公を導いた」んですって末社の浜松稲荷神社の鳥居トンネルがきれい御祭神、徳川家康公である摂社の東照宮浜松八幡宮と縁の深い徳川家康公をお祀りするお社として、正徳4年(1714)に奉斎されたそう 八幡宮をでて5~6分あるくと見えてくる小さな小さな椿姫観音亡き夫・飯尾豊前守に代わりに引間城主となり徳川勢との戦いの末命を落としたお田鶴の方母同士が義理の姉妹にあたる築山御前(徳川家康公の正室)が彼女の死を哀れみ塚に100株余りの椿の花を植えたのだとか…いつしか椿塚と呼ばれ、それが椿姫の名の由来…小高い山にあるのは引間城跡(元城町東照宮)落ちてる?葵のご門の瓦発見!浜松城の場所には、もともと引間城があり戦国時代には遠江の覇権をめぐり対立する武将たちにとって重要な拠点だったのです三河の岡崎城から侵攻してきた徳川家康にとっても遠江制覇にどうしても必要だった引間城永禄11年(1568)に引間城を落城させた家康すぐに浜松城の築城に着手し引間城は広大な浜松城の一郭として取り込まれてしまったのです向こうの丘にあるのが出世城と呼ばれた浜松城現在浜松城公園として整備されている公園内にあるのが日本庭園さほど大きくはないけれど、風光明媚だわ擬宝珠もきれい…小さいながら滝もあり涼やかそして上ること数分…天守閣が現れます天下人となった徳川家康が若きころに戦国の世に名を上げた周辺諸国の名家、今川、武田、織田など 巨大な戦国大名に囲まれながら天下盗りの夢をつかんだ場所…なので出世城なんでしょうか…ググってみると江戸時代に入ってからも歴代城主の多くが後に幕府の重要ポストに登用されたことからいつしか出世城と呼ばれるようになったみたい家康ゆかりの浜松歴史散歩はここでお終い浜松駅まで歩いちゃいました途中全然一服できるところが無く駅でようやくホッと一息静岡ですもん、黒はんぺん!今回の週末プチ旅はこの辺りで終了…じゃあないです🤤この後もちろんビストロ新幹線開催ウナギでワイン!って思ったけれどお持ち帰り用のウナギってうな重とかしかなく泣く泣く?うなぎなしの開催でしたInstagram はこちら(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますにほんブログ村こちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします