「風下のフェミニスト」よたよたあひる
ぶろぐ村から遊びに行く、すずめ先生のブログに、ジェンダーフリー教育の記事「ジェンダーフリーから思うこと」と、戸籍や住民票に関する記事「マジョリティとマイノリティ」がエントリーされていました。それで私もちょっと書いてみたくなりました。 なにしろ、よたよたあひるはフェミニズムおばさんですから。ただし、友人から「フェミニストの風上にもおけない」と言われたことがあり、「風下のフェミニスト」を自認しておりますw ふざけているわけではないんですよ。 アライグマオヤジさんとよたよたあひるは未入籍の事実婚状態で暮らしています。一人娘のとろろ丼さんは、よたよた姓を名乗っています。別に複雑な事情があるわけでもなく、かといって、現在の日本の戸籍制度や結婚の制度に強く反対しているから、というわけでもなく、自称独身主義者のアライグマオヤジさんと自称「風下のフェミニスト」のよたよたあひるが、子どもができたので「子育てユニット」を組んだけど、入籍するメリットも特になければ、デメリットも特になく、強行に反対する家族もいなかったので、結婚しなかった、というだけのことです。主義というより趣味という感じ。お互いの関係は居心地良いんです。 もっとも、こんなお気楽なことを言っていられるのには当然理由があります。ま、それはのちほど・・・ 私がフェミニズムにカブレたのは1980年代で、20歳前半のころです。 でも、そのころ、一方では結婚して名字を変えたくて仕方なかった(笑)。もともとの名字があまりカッコ良くなかったということもありますが、親に反発し、親との関係に悩みつつ、やっぱり「家」という枠組みを肯定していたというか、骨身にしみついていたというか、ただ単にずるかったというか、親元から「正式に離れた証」として、結婚して名字を変えるということにあこがれていたのでした。しかも、当時の恋人は精神的なマッチョマンで、こういう恋をしている人のどこがフェミニスト?という状態です。 束縛するような男との関係が好きなのに、実は束縛されるのはイヤだとも感じていて(これはフェミニズムにかぶれる前から持っていた感覚です)、自立したいと言いながら保護的な関係も求めていてと、矛盾だらけの感情を自分でも持て余していました。で、結局、その恋人とは破局を向かえ・・・破局は今から考えれば当然ですが・・・一人で余暇時間を過ごすのが大変だった時期を過ぎて・・・この時期にもずいぶんフェミニズムの文献に助けられていました・・・ちょっと落ち着いてきたころ、アライグマオヤジさんと出会いました。 馬が合うというのか、お互いに邪魔しない居心地良く都合の良い関係ができました。共通の趣味はほとんどないというのに!多分、もともと二人ともどっか世の中からずれていた、そのずれ加減が似ているんでしょう。 さて、お気楽「事実婚」が可能だった理由はいくつかあるので、その理由をリストアップします。 1.よたよたあひるは定年までつとめることが可能な労働条件が整っている仕事を持っていた。 ・・・産休・育休がきちんととれる職場ですから、子育てのためにやめざるをえない、ということはありません。当然、健康保険も年金もちゃんとありますから、「扶養」してもらう必要がありません。これはとても強い立場です。そして、子育て経験者の多い職場ですから、お互い様ということで仕事をカバーしあうことができます。育休があけて職場復帰したあと、なにかと子どもが体調を崩して、保育園から呼び出しがあってへこたれていると、「復帰後1年は仕方ないよ。今は私たちがカバーしてあげられるから、がんばってやめないで後から来る後輩にその分を返してね!」と声をかけてくれた先輩がいるわけです・・2.よたよたあひるの職場には、未入籍の事実婚で子育て中の先輩がすでにいた。 ・・・何のことでも先駆者は苦労があるものですが、庶務に産休・育休の手続きを教えてもらいに行ったとき、「こういうの、流行っているんですか?」と聞かれました。旧姓を通称に使っている女性職員はさらに多いわけで、特に軋轢を感じることはなかったです(まぁ・・影でいろいろ噂はあったみたいだけど。自分に実害がなければ気になりません)。これって、労働条件が保障されていて女性が多い職場の強みでもありますが、職員の私生活が一般的なライフスタイルからちょっとはずれていても、あまり問題にならない職場風土ということもあるでしょうね。「福祉」なんかを生業にする人は「変わった人が結構いる」「いても仕方がない」ということかもしれません。 3.アライグマオヤジさんにもよたよたあひるにも、「常識のある親」がいなかった。 ・・表現は悪いですが、アライグマオヤジさんちは、お母様だけご存命でしたが、このお母様(以後、おばあ、という名で書きます)は、大正時代生まれて東京で育った、元モダンガールです。「子どもができました。一緒に住みます。籍は入れません。」という私たちの選択に全く動じることのなかったスーパーおばあさんでした。「あら!あの人たちと同じね。平塚らいてふさんと奥村博さんがそうだったのよ。」という答えが返ってきたのですから。おばあは少女時代、らいてふさんちがご近所で遊びにいったりしていたらしいです。私の実家はといえば、「常識人」だった母は亡くなっていたので、本気で常識に欠けている父は、特に反対していませんでした。育児書をプレゼントしてくれました・・・4.二人とも借金をする予定がなく、たいした財産もないので身軽だった。 ・・・住む家はあったので、住宅ローンを組む必要がありません。結婚って、借金をするときや相続がある時に重要なんです。どちらも無縁なので気が楽でした。5.フェミニズムの流行があり、夫婦別姓についての議論が活発になっていた時期だった。 ・・・とにかく、必死で説明する必要はないんですよね。「別姓でやってます」っていうと、「ああ・・」と、なんとなく理解されちゃうような感じですから、ま、尻馬に乗った形というのでしょうか。住んでいる場所が東京の多摩地域というのも大きいかもしれません。中央線だしね。それこそ、実家のある町に暮らすのだったら、もうちょっと苦労したかも・・ ともかく、よたよたあひるのいる場所は、『青鞜』やモガの系譜、ウーマン・リブ、労働運動、そしてポストモダンと、様々な女性運動の先駆者が起こしてきた、様々なフェミニズムの風が、そよそよと吹いている心地よい場所なんです。お気楽で申し訳ありません。-----------------sent from W-ZERO3