「一つの花」から考えた、ささやかなまとめ その3
つづきです。 本当は、前の前の日記でささやかなまとめを終わらせるつもりでしたが、どんどん長くなっていきます・・ここ3年くらいずっと考えたいたことなもので・・・ で、二つの「加害者性」について、です。 私は、戦時中の「日本人」の加害者性に、二つの意味があると考えています。 一つは、大日本帝国の国民としての加害者性です。 国民総動員体制下の戦争ですから、戦地に行った兵隊さんたちだけでなく、銃後の女性も高齢者も子どもも、日常生活の中で戦争に荷担していたということです。 自分たちの生活の営みすべてが、・・・ 中国や朝鮮半島の植民地に入植すること、植民地で現地のもともとの住人を使用人にすること、戦時国債を購入すること、食料や物資を節約することや、出征兵士を激励すること(もちろん、その無事を祈りつつ)、軍需工場で働くこと、教師として教えること、許可されている新聞・出版にたずさわること、普通のサラリーマンをすること、子どもを育てること、町内会の活動、婦人会の活動、映画を見に行くこと・・・ありとあらゆる生活の営みすべてが、戦争遂行という目的をささえていたのです。 もちろん、「統制された情報」や「教育」による強制という面は、現代とは全く違います。 特に、メディアは、検閲があっただけでなく、開戦後の戦時経済下では物資の割り当てという問題もありましたから、娯楽作品などは「戦意高揚に役立つ」内容でなければ、制作さえできなかったわけです。それでも、今の私たちは、特に日中戦争開始当初には、戦争開始を良しとみなした、あるいはやむをえないと見なした多くの「国民・庶民」がいたことを知っておく必要があります。はじめのうちは、戦果があがり領土が増えていくことを喜び、敗戦色が濃くなってきても、逆に「これだけのものを費やしたのだから負けるわけにはいかない」「負けるはずがない」と信じたわけです。それは必ずしも強制されたものとばかりはいえませんでした。 そして、国家総動員体制の戦時下でも、談合もあれば汚職もあり、保身ばかりを考える、あるいは融通の利かない小役人もいれば、真剣に国の行く末を憂い、なんとか良い方向へと努力した政治家や官僚もいたし、軍の中でも開戦に反対していた人もいたわけです。 「国民・庶民」も、決して虐げられる一方ではなく、儲けたり損をしたり、助け合いがあったりいがみ合ったり、イジメがあったり、生き甲斐を感じたり、絶望したり、差別したり差別されたり、あこがれがあったり、愚痴を言ったり、やけ酒を飲んだり、不満を抱えたり苦労したりしながらも、それなりにフツーに、たくましく暮らしていたのです。戦時中といっても、その状態が日常になってしまっている時には、人と人の関係や暮らしを成り立たせるためのやりとりといった、日常性は、戦争中の大部分の時期において、そうそう現在と異なるものではありませんでした。 そして、その日常が、戦争遂行を支えていたわけです。 もう一つの「加害者性」は、戦地でも銃後でも、庶民、国民どうしで、自分や自分の家族を守るために、「他の人を犠牲にする行為」をせざるを得なかった、という意味での個人個人の「加害者性」です。こちらの「加害者性」はまさに「被害者=加害者」であり、同時に加害者になってしまったことがまた自分自身をも傷つけるという、悲劇としかいいようがない状態です。もちろん、そのような事態がもたらされた責任は、大日本帝国にあります。けれども、そのときその場での行動はあくまでも、個人個人が選んだものでもあるのです。そして、純粋に加害者性を拒否した人は、よっぽど運がよくなければ、生き延びること自体ができなかったでしょう。 戦地や空襲を受けた地域では、生き残ったことそのものにさえ、罪悪感が伴うことがあります。なぜ、あの人は死に自分は生き残ったのか。遺族に会って言外に責められる場合もあったでしょう。その上、自分が、あるいは自分の家族が、戦火から逃れ生きのこるために、助けを求める人を置き去りにし見殺しにせざるを得なかった話はいくらでもあります。防空壕の中で泣き叫ぶ赤ん坊を殺すという事態すら、極限状況ではあったのです。 著者もヒロシマで原爆投下の翌日に、救援部隊として派遣されているのですから、多くの重傷者を放置して見殺しにせざるを得なかった体験をもっているはずなのです。 敗戦後にも、深刻な食糧不足や、過酷な外地からの引き上げの最中に、親が生き残る力のある子どもを選ばざるをえなかった悲劇もあります。ましてや、自分の近しい人以外に情けをかける余裕はなかったのです。 「一つの花」のような、美しい物語が入り口になっていると、ともすれば、「悪」の国家体制の下で一般庶民がただただ犠牲になった、という感傷的な理解にとどまりかねません。 昭和50年ごろの教材研究でも、「一つの花」が戦争の悲惨さを十分描いていないという批判があったようです。とても美しい物語ですから、戦時下の実態を知らない世代が親や教師になってきた時点で、この物語をどうとらえ、教えていくのか、難しい状態になっていったのだと思います。 特に、クライマックスの父との別れで、読者が感情を揺さぶられた後、ラストで10年後の、父の愛の象徴であるコスモスの群生に囲まれた、母子のささやかな幸せがて描かれているというつながりを読むことで、ホッと安堵し、「よかったね」で終わってしまう可能性がありますから。 児童の理解としては、それでいいのかもしれません。 作者が希望を提示したかったのは確かなのですから。 また、作者は被害者であると同時に加害者として心の傷と罪悪感を負っている、生き延びた人たち(作者自身も含めて)を癒すことのできるメッセージをも送りたかったのかもしれません(「反戦」のメッセージはもちろんではありますが)。それも文学の持つ価値だろうと思います。 けれども、大人として生きて、自分が社会を構成する一員になるまでには、もっといろいろなことを知って、自分で考える力を養っておく必要があります。 自分の生まれ育った国が、どのような過去を持っているのか。 国と国民の関係は、歴史的にどのように変化しているのか。 それこそ、「国民主権」とはどのようなことか。 「基本的人権を守る」というのはどのようなことか。 なにが「公共」であるのか。 「国を愛する」というのはどういうことなのか。 しっかりと考えて自分のものにしていくためには、「実感」を持ちえない私たちにとって、美しい物語だけ、センチメンタルな反戦感情だけでは足りないのです。 身も蓋もない事実をちゃんと見ることのできる力を養っていきたい・・ そこからしか、自分の生活環境と全く違う世界を理解し、その世界に生きる人の気持ちまで想像する力は生まれないのではないか。 そんなことを考えていました。 とりあえず、「一つの花」についてのささやかなまとめは、ここで終わります。