「抜刀隊」という歌
ちょっとへんてこな自慢話とろろ丼さんは、軍歌の『抜刀隊』を歌えます。この日記は、その『抜刀隊』の歌のお話。↓<抜刀隊雑聞~陸軍分列行進曲を聞く~>Youtube掲載動画2分39秒http://www.youtube.com/watch?v=NN4iKhth7XI&feature=related これは、『抜刀隊』または『扶桑歌』、あるいは『陸軍分列行進曲』と呼ばれる曲の説明をこの曲(インストゥルメンタル)をバックにスライドで説明している動画です。歌詞は説明の中で一部分でてくるけど、ちょっと見づらい。↓<<軍歌>抜刀隊_陸軍分列行進曲(全番歌詞付き)>Youtube掲載動画8分44秒http://www.youtube.com/watch?v=Kaz0S6uMdNY&feature=related こちらは、少し編曲が違う「抜刀隊」と「陸軍分列行進曲」をメドレーにして全6番の歌詞をスライドにした動画です。歌が入っているのは1,2番のみで動画開始から2分ちょっとだけ。この部分が「抜刀隊」という音源からとってあり、その後は「陸軍分列行進曲」の音源で、演奏のみ(行進曲ですね)の音楽にスライドで3番から6番の歌詞を紹介しています。 この「抜刀隊」という軍歌は、「陸軍分列行進曲」として編曲され、現在も陸上自衛隊や警視庁で行進曲として使われているのですが、もともと西南戦争のときに西郷隆盛率いる薩摩軍と闘うため、士族出身者が多い警察庁警視隊から、特に剣術に優れたもので構成された決死隊「抜刀隊」を称える歌とのことで、「我は官軍」と始まるんですよね。でも、戊辰戦争の際には「朝敵」だった、旧会津藩士や新撰組だった人も入っています。そのことを犬養毅が書いてたりするんですよ。そして、歌詞の中にでてくる「敵の大将たるものは古今無双の英雄で」というのが西郷隆盛のこと、自軍のみならず敵方の大将も兵も称えているところに特徴があるといわれています。 なぜ、とろろ丼さんが「抜刀隊」を歌えるかというと、もちろん出所はアライグマオヤジさんのYoutube趣味です。アライグマオヤジさんと私とで、ドキュメンタリー映画『靖YASUKUNI国』を観て来たあと(この時はとろろ丼さんは体調不良でお留守番でした)、映画の中で流れていたこの曲、たしかどっかで聞き覚えがある、というアライグマオヤジさんが、上映会場で買った資料をもとに歌の題名を検索して動画をさがしたんです。で、その調査を横で見ていた(見せられた)彼女が、メロディも歌詞も気に入って、自分で何度も再生して覚えたというわけ。べつに「右翼」趣味というわけでもないんですが。さて、アライグマオヤジさんがなぜ「抜刀隊」の歌に聞き覚えがあったかというと、学徒出陣の壮行会のニュース映画で覚えていたということが判明。雨の神宮で行進する学徒兵の行進の場面です。↓<『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-1)>http://www.youtube.com/watch?v=iEd1WI-3mSU&feature=related 安田講堂時計台の映像から始まるこの映画は、学徒兵として入隊する決意文が、平和な学窓の様子から雨の神宮での行進風景と「陸軍分列行進曲」(「抜刀隊」)の曲に被せて読み上げられています。 行進は、学校別に整列して行われ、それぞれが校旗を掲げていますし、学生たちは学生服に学帽といういでたちでの行進(軍服ではないのですね)から、見る人がみたら、それぞれどこの学生の集団かわかるのだろうと思います。 雨の中の行進は、行進している学生たちをロングやアップで撮影しているほか、グラウンドにできた水溜りに映る影を撮影していて、ここがなんだか凄いんですよね。他にも、学生たちの足下を映したショットがたくさんあります。どんな人がカメラマンや監督をしていたんだろう、作成していたときにどんな思いだったんだろうってちょっと考えました。 マキノ雅弘監督の自伝『映画渡生 地の巻』によれば、学徒動員でマキノ監督の甥やその先輩(日大芸術学部学生)の小沢茂弘氏(のちの東映監督 『緋牡丹博徒 二代目襲名』他)なども戦地へでていったそうです。 西南戦争時の決死隊である「抜刀隊」を称える歌行進した学徒兵たちは、壮行会の最後で「海ゆかば」を斉唱、「天皇陛下万歳」を三唱します。 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ 「決死隊」の歌で行進し、「海ゆかば」で終わる壮行会。 ひとつの歌からも、歴史が見えます。 にほんブログ村にほんブログ村