システム講師時代の履歴書
今日は、仕事を辞めた日からちょうど1年。この機会に、これまでの稼働を振り返ってみようと思う。1992.11 採用試験。演奏・弾き歌いの他、20分の面接で、試験科目に書いていなかった「ジャックと豆の木」の紙芝居や電話の応対をさせられてびっくり。1992.12,1993.1,1993.2 研修。1993.3 1週間、合歓の郷でお泊り研修。(朝食前のリズムステップが嫌いでやめたくなる)(大学時代、バブル真っただ中で、マハラジャに出入りして大人ぶってたから(笑))1993.4 研修。この後仕事が始まっても研修はまだまだ続く。1993.5仕事開始。新人に仕事は回ってこないのを実感。週3日でグループレッスンはJ科・EJ・7級・6級のグループがあるものの幼児科はなく、研修が役に立たない。頭金なしで持っていなかったEL90を購入しようとしたら、当時の店長が「収入が足りないだろう」と、出張レッスンを入れてくれる。講師コンサート。(アンサンブル)1994.5 人気のある先生のグループ1日分の仕事が入る。(週5日稼働)当然、その先生がお目当てだった生徒さんばかりで、いろんな辛いことがあった。講師コンサート。(ソロ)この頃から、地区大会に出場する生徒が出始める。以降、2005年まで、誰かは進む。1995. 大人の教室の仕事(朝の仕事)始める。学習者グレード試験官始める合歓の郷でエレクトーン中核講師研(平部やよい先生/松本淳一先生)1996.4 京都で一人暮らしを始める。(この頃は、独身でバリバリ仕事しようと思っていた。)まだ、へき地の稼働はあったため、その会場の最寄駅から40分歩いて通う。1997. クラビノーバの研修を受けさせられたにもかかわらず、対象生は1人。どうしても取っておきたかったエレクトーン演奏グレード3級を遅ればせながら取る。(師匠に合格の報告をすると、「こんなに伸ばしたら受かって当然」と喝を入れられた)代講をたくさんする。(週6日稼働。午前午後でセンターかけもち)講師会サブリーダー。指導法研究会リーダー。シンポジウムでソロ演奏。1998. 中心センターの仕事が増える。講師会サブリーダー。指導法研究会リーダー。この頃から、幼児科の体験教室を中心センター分全部する。(以降2、3年)1999.秋から、朝の仕事、土曜日を抜いてもらう。(週5日稼働)同じ先生から、クレームで生徒が流れ込む。以降、2003頃まで。たくさん嫌なことがある。講師コンサート(ソロ)体調がすぐれない。(不正出血など)2000.5 大人の仕事から撤退。(大人の生徒数30人になっていた)楽器店内の小さなエレクトーンの大会で審査員を始める。講師会グループリーダー。10.1結婚。(忙しすぎて、ジミ婚)(女の一人暮らしに限界を感じていた。)2001.10 なんばセンターの演奏研究会に生徒が通い始める。(即興・柏木玲子先生/演奏・近藤岳先生)京都の演奏研究会に生徒が通い始める。(高田和泉先生)講師会グループリーダー。秋に、月曜日を抜いてもらう。(週4日稼働)2002. Super fes.(店のハイライトコンサート)にソロで生徒が出場。 なんばセンターの演奏研究会(即興・柏木玲子先生/演奏・近藤岳先生)京都の演奏研究会(高田和泉先生に2人・松内愛先生に1人)アシスタント研で新講師さんを預かる。2003.2Super fes.(店のハイライトコンサート)アンサンブル選ばれる。水曜日を抜け、月曜日が増える。(週4日稼働)2003.9生徒がosaka finalに出場。東京・品川インターシティホテルでエレクトーンフォーラム。(ステージアの発表レセプション)中井美穂さんが司会で、「おお」と、どよめきが。(笑)なんばセンターの演奏研究会(即興・柏木玲子先生/演奏・加曽利康之先生)京都の演奏研究会(松内愛先生)Super fes.(店のハイライトコンサート)にソロで生徒が出場。ステージアの納品が遅れ、(店も、自分も、生徒も!)大変な思いで音作り。(-_-)なんばセンターの演奏研究会(即興・柏木玲子先生/演奏・加曽利康之先生)終了。京都の演奏研究会(松内愛先生)2005.1~8産休。(妊婦姿を見せるのが嫌で、早くから休む)息子が3か月から復帰。(週3日稼働)休んでいる間も、代講の先生にデータ・楽譜を送ったり、アンサンブルの楽譜を書いたり、なんだか忙しい。産休の間に、私のポジションは、「小さい子のクラスを持つ先生」「趣味の生徒を持つ先生」に変更になっていたらしく、3歳の研修をいきなり入れられた。(以前に認定研に行って資格があった時は仕事が1クラスもなかったのに)1日研修は、母乳が溜まって(完全母乳していたので)痛む。間もなく、次は、大人のピアノのオーディションを受けて来いと言われる。(練習時間ないんですけど~!と言いたかったが仕方なくいき、その後またもや1日研修)結局大人のピアノの生徒は、1人ももたず。2006.2.super fes.に生徒が出場。(ほかの先生のと合同アンサンブル)7.引っ越し準備とECの準備、育児で疲労が重なり、顔面神経麻痺になる。(1か月点滴に毎日通う)10末 講師を辞める。振り返ってみて、本当に大変な仕事だったなあ、と思う。土日は、発表会・コンクール・演奏研究会の付き添い・グレード試験官・審査員等々の行事。午前があいている日は、自分のレッスンや音楽講座に通い、研修会も多い。家に帰れば、家事がすんだら、楽譜の添削、指導案作り、レジスト作り。師匠の門下生のコンサートにも参加。楽器店の中でも「治外法権」と言われているキツイ性格のパートから店長になったオバサマが牛耳っている地区で仕事をするのは、かなりキツかった。(この人が原因で、受付・社員・講師が30人くらいは辞めている)