将棋ー詰める‐持ち駒無しー飛車‐龍
次男くん、素直だから。お母さんが、「次男くん、これ見てください。」と言えば、ちゃんと見てくれて。はたして、わかるか、理解できるか。。。。は、わからないけれど。でも、とにかく、こちらが働きかけると、こっちを見てくれて。。。それが全ての第1歩です。そういう次男の性格が無ければ、すべての可能性はゼロ。「関わり甲斐を感じる人」と、よく言われました。これからも、そうであってほしいです。私が老齢になって死ぬころは、次男は立派なおじさんになっています。そのころも、「関わり甲斐がある人」と言われているでしょうか。今は健康な次男でも、そのころになれば体力が落ちているかもしれません。ひざや腰が弱っているかもしれません。家事ができて、仕事ができて、wii,オセロ、トランプでババ抜き、7並べ、神経衰弱、もできるけど将棋もできたら尚コミュニケーションツールが増えます。健康で長生きするであろう次男くん。。。。それはとても幸運でありがたいことだけれど、それならば、親は長生きする子の老齢期の生き方も心配しなければなりません。私が死んだ後のことは知らないわぁぁぁ。。。と言う人もいるけれど、本当かなぁ。。本当にそうなのかなぁ。。。本当に気にならないのだろうか。私は気になるわ。だから今、老眼になった目をこすって、毎日大量に死んでいく脳細胞を励まして本のページをめくって、インターネット上で駒を動かしています。こういう親を相手にしていることをわかっていますかね。わかってないですよね。知的障害者に将棋というゲームのルールを教えるには、どんな工夫が必要か。。。と考えている様子がない。考えていれば、今、私が本を読みながらエッチラオッチラ作っている次男用のテキストを作るくらいのことは、とっくにしていますよね。打てど響かず。