出会い、才能の発見
以前に次男がお世話になっていた美術教室に作品の残りを引き取りに行ってきました。たくさんの画用紙を紐で縛って宅配便の着払いで発送していただけるようにしてきました。受講者数は少なくなっていますが、新講師のもと、教室は維持されています。今、お世話になっている受講者は、とてもお得だと思います。新講師のキム先生が、ユーキくんの才能を発見されていました。ユーキくんにこんな才能があったとは。。。マジマジとユーキくんの作品を拝見しました。私:「キム先生、いつ、気づかれましたか。」先生:「最初の日です。」人と人の出会いは不思議です。前任の講師が2,3人の受講生を残して、ほとんどの受講生を引きぬいて新美術教室を設立しなければ、ユーキくんとキム先生は出会わなかったかもしれません。キム先生は他の曜日のクラスを担当されていたのですから。否、もとい、キム先生はプロの作家ですが、まだ、前任の講師が土曜日の教室を担当している頃からボランティアとして土曜日の美術教室を助けておられたのでした。前任者がいなくなってキム先生はユーキくんの「指導」ができたのでした。まさに天の采配です。私は、クリスチャンではないけれど、神はおられる。。。と思った。なんと、神はイジワルであられることか。なんと粋なことをされるのか。きっと、すべては、この出会い為に計画されたことだったのだ。ユーキくん、あなたはとんでもなく得したんだよ。あなたも、あなたの保護者もまだ気がついていないだろうけれど、あなたの付き添いのヘルパーさんも全く気付いた様子はないけれど、(もうちょっと、なんとかならんか、貴女。)あなたの「窓」が開くかもしれないよ。次男と私は、クリンもだん美術教室と縁が切れてしまったけれど、キム先生とユーキくんのこれからに注目したい。どんな言葉が適切なのかわからないけれど、これは、面白いことになった。「窓」が開いたら、本人もあら!?となにか気づくかもしれない。周囲の人達は、え!?ユーキくん、こんな才能があったの!? と驚くだろう。ユーキくんを見る目が違ってくるだろう。でも、それで、TVの取材が来て、収入になって。。。と飛躍するのはちょっとヘン。世の中は、大勢の知的障害者アーティストを求めているわけではない。どんな分野であれ「すばらしい!!」と感じる作品や仕事があって、たまたま作者が障害を持っていたか、持っていなかったか。。。なのだ。わざわざ、「芸術家の健常者枠」「芸術家の障害者枠」があるわけではない。絵も音楽も一生の趣味になったら大収穫。健康な知的障害者の一生は長い。親亡き後も寿命がある。なにか趣味があれば、本人の慰めになるかもしれない。趣味がツールになって周囲の人達から関わりを持ってもらい易いかもしれない。親が生きているのに、親亡き後を心配するなんて。。。と眉を寄せる人もいる。まぁ、人の感じ方はそれぞれだけど。知的障害のない人だって、中高年になってから生活習慣を変更するのは困難なのだから、知的障害があれば、自閉症であれば、青年期には生活の基盤を作っておくのが当然だと思うのだ。次男くんは、今の教室が気に入っているので、このまま続けさせていただけるところまで通わせていただく予定です。外部の環境(知的障害のない、知的障害者と関わりのない人達と同じ空間にいること)は、ナカナカ刺激的です。これから先、支障があるか、ないか、わかりませんが、刺激を吸収できたらラッキーです。冒険できる時は、冒険してみるべきだと考えています。キム先生にもそう申し上げました。