【参】チェンヨウメイと呼ばれた女
宴もたけなわ。運転手の彼は相変わらず「チェンヨウメイ(真由美)」と呼び続ける。*詳細は【弐】チェンヨウメイと呼ばれた女 ご参照もう、いいか~好きに呼ばせとけば…^^;;しかし安徽省。農業が盛ん。出てくる酒は、名産の バイジウ~(白酒) ^^;;;;(百年なんとかってバイジウだった)気がつけば、他の人まで「チェンヨウメイ(真由美)」と呼び始めて。気がつけば「カンペ~イ^▽^♪」の嵐。(ヒエ~ 汗)こらぁ~次から次へと、来るんじゃないっ!!^▽^;;あ~したたか酔った・・・フラフラしてきた・・・そこに飛んできたのが「チェンヨウメイ、大丈夫かっっ!!」運転手の彼。「大丈夫だ、俺が送るぅっっ!!」とボディーガードのように他の中国人を押しのけ私を連れて(引き摺って)車に乗せて私が宿泊しているホテルまで。「チェンヨウメイ、大丈夫かっっ!!大丈夫かぁぁっっ!!」と何度も声をかけられるも。「ウエ~(返事のつもり)・・・」バイジウあれだけ飲んで大丈夫なワケないやろ~何とかかんとか部屋まで着いて。「じゃ、謝謝。」とお辞儀して、部屋に入ろうとした私を彼は、ツ…と引き寄せてギューッと抱きしめた!エエ~!! @@;;彼は 「チェンヨウメイ・・・」とつぶやいて力を緩めると。スタスタと去っていきました。。何なんだ・・・今のは…@0@;;まあ、そのセミナーは成功裏に終わったわけですが。。修了証書の名前↓は私が筆ペンで書きました(ボケてるけど証拠写真)********************************************************帰国後。あの「チェンヨウメイ」の異様な盛り上がりが何とも狐につままれたような気がしていたのでしばらくして、検索してみました。そして、このサイトを見つけた。。。 (ちょっと重いかも、でも読んで下さい)「真由美」が変えた人生航路 「『追捕』は文革の嵐にさらされ、渇き切っていた心を潤してくれた慈雨だったのよ」『追捕』とは、日本名では『君よ憤怒の河を渡れキミヨフンドノカワヲワタレ』突然、身に覚えのない殺人容疑をかけられた東京地検の現職の検事(高倉)が、警察を辞めて、東京から北海道へ500キロを旅しながら、独力で犯人を探す話。中野良子はこれを助けるお嬢さん役であった。西村寿行原作のアクション巨編。文化大革命後に外国映画の開放政策が始まった中国で第1作として1979年に上映された。これを観た中国の映画監督チャン・イーモウ(当時27歳)が「いつか健さんの映画を撮りたい」と熱い思いを胸にし、ついに実現したのが高倉健主演の「単騎、千里を走る。」である。 あ~そうだったのか~・・・それで、あんなに親切にしてもらったのか~・・・それで武漢の生徒もよく「チュイプー(追捕)、高倉健」って言ってたんだ…運転手の彼や安徽の人達は、私を通じて『追捕』の「真由美」を見ていたんだ。。映画の中の真由美に憧れて…きっと生まれて初めて日本人の女性に会って、嬉しくて仕方なかったんだな…安徽省の人達の熱い思いを改めて感じちょっと感動してしまいました。。そして中国語を学び始めた頃に先生に教えてもらった事を思い出しました。「あなた達はこれから、中国語を通じて中国の人達と接していく事でしょう。中国の人達はあなた方を通じて日本人を知り、日本人とはこんな人達だ、と考えます。あなた達は日本人として恥ずかしくないように、日本人の代表のつもりでこれから中国の人達と接して行って下さい」私を含め同級生達は目を輝かせて、この言葉を聞いたのに。。当たり前の事だけれどいつの間にか慣れに紛れて忘れていた気がする。。そして中国の人達の、つい最近までの激動の歴史に思いを馳せ。。。少し、中国人の心を垣間見たような気がしました。。。 ←是非1票お願いします!(別窓) ←こちらも是非!非常感謝!(別窓) ←御支持お願いします^^(別窓) 最近、このサイトも見つけました。(ちょっと長いけど、いい話)日本の大衆文化と日中交流http://www.geocities.jp/takechan64imc/0512ou.pdf日本映画やドラマ・アニメが、文化として、どのように中国で受け止められたのか年代を追って紹介されています。「真由美」も出てます。是非^^