【五】塩水港製糖
2013年、またよろしくお願いいたします。塩水港製糖は結局、日常の忙しさに追われて書く気力がなくなってしまいました・・・ざっとその後の事を書きますと、昔の役所の文書を解読するのは難しくて「書道に詳しい方に聞いて頂いた方が・・・」とお返ししました。全くお力になれなかったのが申し訳なくて台湾の製糖業界において塩水港製糖の位置づけがわかる資料があったのでお渡ししました・・・喜んでられました。また1か月後くらいに管理人さんがこられ。古本屋で購入されたという塩水港製糖についての古い文献を読んでいたら。地盤が固いので、「ヒースブラウ(ヒースブロウ)」という耕運機で地盤を耕した・・・とあったのでどうして、どのような地質になったのか調べるのを手伝ってほしい、と。地質の地図などを渡されました。一応調べてみましたが、言ってみれば「若草山はいつできたか?」というくらいマイナーな話で、調べてみましたが翻訳などとてもできない専門的な話。管理人さんのずれ具合にまた頭が痛かったのですが、「地質とか、わからんわ!(疲)」と思い「ヒースブロウ」から調べると、資料は出てきました。そして、これがなんと「八田与一さん」に行き着くのでした。台湾の農業を開発するのは当時の日本の国策であったそうで政府が人員を派遣して、耕地改造などを行っていた。その中に製糖会社の開発も入っており固い地盤に手を焼いていた政府も製糖会社が自社で持ち込んだヒースブロウで耕地を耕すのは、勿論構わないと、彼らにさせた・・という内容でした。ふと管理人さんに頼まれた事がきっかけで調べると、八田与一さんまで行った、また私の母方の祖父が台湾へ農業指導で派遣されていた事にもなんとなくつながるような気がして何だか素敵なプレゼントをもらったような気がしました。八田与一さん、台湾ダムまで行き着いた所で管理人さんは納得されたようでした。私の名前を尋ねられ、「本に載せてもよいですか?」と。何か冊子にまとめられるようで、管理人さんの情熱に驚きました。こんな感じで2012年は過ぎていきました・・・まあ、あまり中国関係はなかったですね。このままでは私も人生が面白くないので2013年は外へ出ていかねばと思っています。