背筋を伸ばさない。
悪夢といっていい夢を夜中に見た。内容を書く気はしないのだが、いやにリアルな夢だった。久しぶりに、持ち帰りの仕事がない4連休だった。土曜に、県人会に妻と出かけ、健康麻雀はなし。日曜日は、恒例のインドア薪割りだったが、新しく割る薪もなく、昼を食べたところで終了。月曜は、3週間ぶりの整形と、ちょっと修理があるので代車をディーラーに取りに行った。この間、弓の練習は三階で2回、合わせても30射程度。ただ、ピアノだけはひっきりなしに練習していた。まだ、かなり減ったものの、ミスタッチは出る。通しで曲想を、ミスタッチは部分練習で。6/8拍子をつかむため、メトロノームで通す練習など、一日2時間近く練習した。どうも疲れの原因はそのあたりのようだ。それから、昨日、びっしりと1階の掃除をして、妻と4000歩ほど散歩し、スーパーに行った。そんなことで疲れるのは、我ながら情けないのだが、これが老いの現実である。父が、自分より若いくらいのころ、とにかく横になりたがり、「寝るより楽はなかりけり」とそのたびに言っていたのを思いだす。悪い夢さえ見なければ、やはり体を横たえることは楽だ。整形の先生によると、無理に背筋を伸ばしたりするのは、かえって腰痛を起こす原因になるという。まあ、年寄りがシャンとしているのは羨ましいが、ある程度背が丸まっているのが、自然な姿なのかもしれない。アンチエイジング派の自分としては、背筋を無理に伸ばすことは止めようかな、と考えた。ピアノも弓も、なるべく背筋を伸ばして、と思っていたのだが、ピアノも弓も無理なくやればミスが減るなら、少し背中を丸めて練習してみようかなどと、考えている。閑話休題。しかし、一体誰が見ているのか、毎日10前後のアクセスがあり、この前、600近い総アクセスになった時は、20くらいのアクセスがあった。間違いなく、この日記で最も多く読まれている。総アクセスは800が間近だ。 → 「(Ora Orade Shitoriegumo)」の解釈についてまあ、どうでもいい話なのだが、決して難解ではないにしろ、かなり専門的な内容なので、普通の人ではないだろう。宮沢賢治の『永訣の朝』、代表的作品の解釈である。再び、閑話休題。100,000kmを超えたCX-5の代車は、10,000kmちょっとのCX-30。この車に乗ると、一体マツダというメーカーが何をしたいのか、よく分からなくなる。SUVでもなければ、セダンでもない。中途半端な座席の高さとさして広くもない荷室。何だかノメっとして、デザイン性のない外観。ただしフロントマスクだけは何だか厳めしい。これじゃ、売れないよね、と思った。メーカーとしてのマツダには、とっくに見切りをつけ、株も損切りしたのだが、このディーラーとの付き合いは長い。CX-5は、やはり車幅もタイヤ径も大きすぎて、自分には合わないのだが、あと数年は乗るだろう。さて、その後、どうするか。遠征も行かなくなっていれば、マツダのバッジをつけたアルトかワゴンRかハスラー。軽自動車で十分かな、と考えている。まだ、年数回の遠征に行くなら、コンパクトカーなのだが、MAZDA2は腰が痛くなるし、適当な車は今のところ見当たらない。ソリオかロッキーかフリード+みたいなのを、作ればいいのに。