Ⅲ ヒューマニズム 3(最終回)
(5)ヒューマニズムの限界 「隣人愛」に端を発するキリスト教のヒューマニズムは、キリスト教圏の西欧国家の世界への拡張戦略、すなわち植民地主義、帝国主義によって、もはや信じられなくなっている。 弱者に手を差し伸べるカトリックの精神は、皮肉なことに、カトリック教会がいかなる政治的権力もなくしてしまった現代において、最もよく発揮されている。法王は核廃絶、貧困の解決などを世界に訴えるが、そこにはそれを実現する力の裏づけはない。 一方、西洋近代を形成した「人間中心主義」という色彩の強いヒューマニズムも、とっくに破綻している。自分たちを救済するはずだった人間は、原子力爆弾を落とし、フクシマの事故をもたらし、環境を破壊し、未来の人類の生存の危機を招いている。さらにそこから派生した「個人主義」は共同体の否定という方向に進み、地域のコミュニティの崩壊、家族の崩壊へと向かっている。(6)「ヒューマニズム」の再評価 しかし、だからといって「ヒューマニズム」に代わる思想が現れたのか、というとまったくそうではない。 まず、キリスト教の隣人愛に基づくヒューマニズムを批判する思想があるとすれば、それは民族主義だろう。自民族の間では、隣人愛を説きながら、先住民族を含む異民族を激しく攻撃し、排斥しようとする思想である。その思想はキリスト教圏国家にあっても、現代では根強い。 そもそも「隣人」を「敵」とみなすのか、「仲間」とみなすのか、という選択を前にして、「敵」とみなす方を支持する人はいないだろう。その人は、敵を殲滅する生涯を送ることになる。現代社会でも、一部の人はそういう生涯を送っている。また、日本でも戦国時代などは、そういう人間が多くいた。 しかし、ヒューマニズムが「状況倫理」(特定の状況で生まれ、普遍性を持たない倫理)であったとしても、それを自らの生き方とすべきである。私は隣人を敵とは見做さない。少なくとも「顔の見える」隣人は仲間である。それが共同体の中で生きる個人の正しい在り方と考えている。そして、その共同体は外に向かって開いていなければならない。共同体は異なる他者を排斥してはならない。 キリスト教はすでに「世界宗教」であるが、世界に広まるべきはキリスト教の信仰・教義ではなく、あるいはアジアやアフリカに疑似西洋近代社会を構築することではなく、キリスト教の「隣人愛」の倫理である。他者を自己を脅かす敵と見るか、それとも仲間と見るか、それが分水嶺である。 この視点は、疑似西洋近代社会である日本のような国で生まれ育った者の方が、そこにどっぷりと浸かっている者よりもはるかに持ちやすい。 キリスト教の団体、修道会であれ、プロテスタントの宗派であれ、そういう団体が、アフリカなどに小学校を建設し、読み書きを教える。もちろん、金儲けなど考えてはいない。しかし、そこで教えられる言語は英語、フランス語などであり、決して現地語ではない。やがて、フィリピンのように現地語と公用語が併存する疑似近代社会が生まれる。タガログを小学校教育に入れようとしたフィリピン政府の方針に、最も激しく反対したのは修道会だ。彼らは現地の文化を野蛮と見なし、それを伝承するタガログなどなくなればいいと思っている。世界に通用する英語を自在に操れるようになることが、彼らの幸福につながると本気で信じている。そこに悪意はないが、自分が帝国主義時代の植民地政策と同じことをしているという自覚もまた、ない。 日本人である自分は、フィリピンの国際教育会議に出る機会があり、非常におかしいことだと感じた。そのことをある修道女に話したら、彼女は肩をすくめただけだった。つまり、彼女らの意識では、いつまでも現地語にしがみついている日本人はしょうがないやつら、ということであるらしい。しょうがないのは自分の方だとは、絶対に考えない。 だから、隣人愛だけは広めるべきだが、それが近代西欧の押しつけになってはならないのだ。亡くなった中村哲氏は、特定の言語や文化の押しつけをせず、アフガニスタンの人たちがどうしたら貧困から抜け出せるかだけを考え、実践した。そこにはいかなる押しつけがましさも感じられない。「現地」の顔の見える人たちへの直接的な隣人愛の実践が彼の生涯だった。また、彼は自分の実践をほとんど語ろうとはしなかった。語る場合は、次の支援の資金を得る場合に限られていた。 もはやヒューマニズムは、個々の人間が限られた場面で、限られた人に向かって発する、非常に矮小化された思想に堕してしまっているが、それでもその思想を支持するべきだし、日常の生活圏、つまり仕事仲間や家族に向かって実践していくべきだと考えている。誰もが中村氏のような人生を送ることはできないが、足元の生活の中で、多少のヒューマニズムを発揮することは決して難しくはない。