SENSE WONDER
毎日毎日暑い日が続いています。昨日は、お盆の最終日。自分と夫のご先祖様(4件分)のお仏壇にお参りして、夕方はお墓参り。無事西国浄土までお戻りいただけるように、お参りしてきました。毎日の暮らしが、『感謝』の上にのみ成り立っていると気づいてからは、瞑想に入る時の気持ちが変わりました。夜寝るときは「今日一日ありがとうございました。」、朝起きてからは「今日を迎えられてありがとうございます。」と無限の宇宙に向かって、ご先祖様や仏様に向かって、感謝の念を述べてから短い瞑想の時間を過ごします。一日の始まりも終わりも、まずは自分を宇宙の大いなる力の中に放り込んで、その力の中で心も体も解放する。エネルギーやパワーを一杯に充填するために。振り返って見ると、成人式を過ぎてからというもの2~3年置きに病気して、何度も病院のお世話になっていたのに、最後の入院からこっち出産以外に入院騒ぎは起こしていません。もちろん持病があるので治療は続けていますがそれも良い状態を保てていますし、子供と二人車で移動中に後ろから追突されたときも、よい条件が重なったとは言え酷い事にはなりませんでした。何年かの周期で人生の波が来るとエリさんから教わりましたが、私も今その変革の時を迎えているに違いありません。今年は、本当に自分がどんどん脱皮して変わって行っているような気がします。脱皮して、脆変して、素敵な魔女になって空を羽ばたけるように、見習いの期間に学ぶ事はたくさんです。ハリー・ポッターも、魔女の宅急便のキキも、一生懸命修行してますからね。そして、十年後娘が十三歳になった時キキと同じように魔女修行ができるように、母は一日も早くお免状を頂けるようにならなくっちゃ。さて、昨夜読んだ本から・・・・・。sense wonder 私達は不思議な日々を生きている。子供のあのほとばしるようなエネルギーってどこから湧いてくるのだと思う?子供の目がキラキラしているのはどうしてだと思う?子供の会話が面白いのはなぜだと思う?それはこの世の全てが彼らにとって「何だろう?なぜかしら?どうして?」の不思議に満ちているから。今でも不思議な事はたくさんある。知らない事もたくさんある。でも、虹を追いかけたときのような情熱はなくなった。私達はたくさんの情報をいつでも手に入れられるという安心感から、本当はきちんと理解していないのに、わかったつもりでいる。じっくり考えるという事をしなくなった。素朴な疑問を持ったとき、それを放置しないで調べて自分で確かめて見る事で、気づくことがある。それはその人にしかわからない個別の体験から導かれる、いわゆる一般的な答えではない物。それがとても大事なのだ。なぜなら私達は固有の生き物だから。そして、私にとっての必要な答えは、私以外の全ての人に当てはまる物ではないはずだ。この世の全ての不思議はそれぞれが鎖のように繋がっていて、私達の生活とも深く関わっている。といよりも、私達はその不思議の世界に放り出された小さな生き物だ。不思議の世界のひとつひとつの出来事は、新鮮な感じで私を刺激し、それを注意深く観察し、じっと耳を傾ける。ひとたび「何だろう?何故だろう?」と思うだけで、腐りかけた脳みそがぴくっと興奮するのだ。いつまでもあの子供のような好奇心を持ち続けたいな。私達の周りには知らない事が山ほどあって、それを探求し始めたらこの先どれほど時間があっても足りない。 (「good looking life」津田晴美著より)「お前は一体世の中の何を知っていると言うのだ!」と今朝の夢で大いなる者から問いかけられました。そう、私は一体何を知っていると言うのか?知っているつもりで大人になった気でいました。大人とはただ大きい人ではないはず。子供のような好奇心を持ち続け、猫の目のようにくるくるとよく動く体と、人を惹きつけるような魅力的な表情をして素敵な声音で話す、大いなる人(魔女)になるために、この不思議の世界を満喫しよう! わぁ、時間がいくらあっても足りません。生きる事は、実験失敗改良の連続。飽きる暇はないなぁ。