池上さんのみたオンカロ、映画「10万年後の安全」、そしてヴァレーズ
先ほどの続きで、池上彰さんの、『池上彰が読む 小泉元首相の「原発ゼロ」宣言』の本で書かれているオンカロについて書きます。池上さんはとてもわかりやすくまとめてあります。小泉さんが原発メーカーの幹部を引き連れてオンカロを視察して「日本ではこれはだめだ」と喝破し、原発ゼロ宣言につながるわけです。池上さんもまた、2012年にオンカロを取材で訪れたということです。歴史的にスウェーデン、ロシアなど近隣の強国から虐げられ続けてきたフィンランド。ようやく1919年に現在のフィンランド共和国が誕生したばかりであることは、ウォルトンとシベリウスの記事にも書いたばかりです。このような歴史から、フィンランドが安定した自主独立を維持するためのエネルギー源として原子力発電を重視し、その結果、人口500万に対して現在4基の原発が稼働中ということです。人口密度ならぬ“対人口比原発密度“で考えると、日本の約2倍相当になる、原発依存国ですね。この本で池上さんが明確に指摘しているのは、フィンランド人の責任感の強さです。池上さんは書いています。“フィンランドには、国内で発生した使用済み核燃料を海外に持ち出してはいけないという法律があります。自分の国のゴミは自分の国で処分しよう。よその国に任せるのはやめよう。そう考えて、そういう法律をつくったのです。そういう国なんです。”・・・モンゴルに押し付けようとしたどこかの国とは、雲泥の差ですね。そういえば、数年前、フィンランドに旅行に行ったとき、フィンランドに住む日本人がガイドをしてくれたのですが、その方が言っていたことですごく印象に残っている話は、「フィンランド人は正直だ、少し前まで電車の改札がなかった。皆がちゃんと切符を買って乗るから、改札が不要だった。」ということでした。もっとも最近では海外からの移住者が増えて、事情は変わっているということですが。そのような、責任感ある大人のフィンランド人が、長い時間をかけて高レベル放射性廃棄物の最終処理場を構想し、場所を決め、現在作っているのがオンカロです。そして10万年後の人々にいかに危険性を正しく知らせるべきか、その方法を真剣に検討しているわけです。池上さんは書いています。“2012年にここを訪れたとき、わたしはオンカロを受け入れた自治体の市長さんにインタビューしました。日本的な発想で、つい「ここに最終処分場をつくると、国から補助金が出るのですか?」と訊いてしまいました。ところが、「そんなものは一銭も出ません」という返事です。続けて市長さんはこう言いました。「私たちは原子力発電所をつくることを選択し、そこでつくられた電気を使って豊かな生活を享受しています。豊かな生活を享受している以上、責任が発生します。原子力発電所からはゴミ(使用済み核燃料)が出るのですから、誰かがそれを引き受けなければいけません。」”この答えを聞いた池上さんはさらに書いています。“市長さんの話を聞いて、私は、「ははーっ、おっしゃるとおりです」と感心してしまいました。フィンランドの国民性なのでしょう。考え方が大人なのです。「ああ、フィンランドは、原子力発電所を持つ資格がある国だな」。そう思いました。小泉元首相もたぶん、日本には原発を持つ資格がないと思ったのでしょう。”そして池上さんは言います。“そもそも日本に、フィンランドの人々のように考えて責任を引き受けたり、10万年後のことを真剣に考えたりする人がどのくらいいるでしょう。原子力発電所は必要だと言って原発を運転しておきながら、使用済み核燃料を処理するのはイヤだと、みんな逃げ回っている。恩恵は被る、豊かな生活は享受する。だけど、ゴミはいやだよと言いながら、原子力発電を続けている。そんな国に、原子力発電所を持つ資格があるのでしょうか、フィンランドの人々と会って話を訊いているうちに、そう思えてきたのです。”池上さんに全く同感です。池上さんがずばりここまで書いているとは、うれしい驚きでした。ところで、オンカロといえば、映画「100,000年後の安全」がありますね。ご覧になった方も多いかと思います。福島の事故後に、渋谷の映画館で上映されたとき見に行こうと思いましたが、チケットがとれず、それで僕はその後DVDを買って見ました。オンカロの目指していること、問題点などが、冷めたタッチでちょっと古いSF映画風に淡々と描かれ、非常に見応えがありました。脱線しますが、この映画のBGMが、とても凝っています。見ていてわかったのはシベリウスの悲しきワルツだけで、あとはわからなかったので、それでエンドクレジットを良くみて作曲者、曲名をチェックしました。わかった作曲者などを示しておくと、出現順にKarsten Fundalという人、それからクラフトワーク、シベリウス、グラス、Killmayerという人、ペルト2曲、再びKarsten Fundal。いかにも渋そうでしょう。Killmayerという人の曲とか、ペルトのオルガン曲とか、なかなかです。そしてそして圧巻なのが、映画の最後に流れる、オーケストラ伴奏によるソプラノの歌で、すごく内容にあっていて、印象に深く残る曲だったのです!クレジットによると、ヴァレーズの、Un Grand Sommeil Nokirという曲でした。調べてみると、「暗く深い眠り」。ヴェルレーヌの詩に、ヴァレーズが作曲したもので、若い頃のヴァレーズの作品としては唯一残っているものだそうです。オリジナルはピアノ伴奏で、それをオーケストラ伴奏に編曲したものもあり、映画で使われているのはオケ伴奏のほうです。静かな恐ろしさを孕む音楽もすごくあっているし、歌詞が、あまりにもこのオンカロの内容にぴったりで驚きです。良くこの音楽をあてはめたものだとつくづく感心します。曲は3分半ほどの短いもので、映画では全曲流れて、そのあとは無音のエンドクレジットに続きます。音楽はYouTubeで聴けます。http://www.youtube.com/watch?v=H39taxZknP8です。歌詞は、charlotte sometimesさんという方のブログに堀口大學の訳詩が紹介されていました(http://tateno.txt-nifty.com/blog/2011/07/index.html)ので、そこから転載させていただきました。(リンクのご連絡をしたいのですが連絡手段がなく、無断です。すみません。もしも不都合ありましたらコメントなどでご連絡いただければ幸いです。)「暗く果てなき死のねむり(暗く深い眠り)」暗く果てなき死のねむり/われの生命(いのち)に落ちきたる、/ねむれ、わが希望(のぞみ)、/ねむれ、わが慾よ!わが目はやものを見ず/善悪の記憶/われを去る…、/悲しき人の世の果や!われはいま墓穴の底にありて/隻手(せきしゅ)にゆらるる/揺籃なり、/ああ、黙せかし、黙せかし!(ポール・ヴェルレーヌ~堀口大學・訳)もう、オンカロのために書かれた詩と曲、そういってもいいほどです。「世界BGM選手権」がもしあったら、優勝候補の一角に入りますね。これ、やはり映画のBGMとして視聴していただくのが良いかと思います。YouTubeでも見られます。http://www.youtube.com/watch?v=y4sqFyCHcbgで、67分50秒頃から、この音楽が始まります。音楽の話にそれてしまいましたが、音楽を抜きにしても、この映画、これからの日本を真面目に考えるために、原発の賛否にかかわらず、見るべき価値あるものと思います。