母の遺言
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母の遺言 posted by (C)みえこ55
私は、すごく怖がりでいつも取り越し苦労をしてしまう性格でした。皆さんも、もっ力を抜いてやればいいのに。そう思っている方も多いのではないでしょうか。実はそこが今日のポイントなのです。私がなぜこんな性格になってしまったのかのルーツ。そして何年、いえいえ、何十年も疑問に思いつづけて来た、すごく大き悩みというか、疑問がもうすぐわかるかもしれない。分からないかもしれませんが、今、このタブレットの文字盤を打つ手が震えているのは、まだ部屋が暖房で暖まり切っていない冬のせいなのか?興奮から来るものなのか?よく分からなくなっています。いったい何から書けばいいのかわかりませんので、皆さんにとっては、支離滅裂な感じかもしれませんが書いていきますね。私の頭の中からあふれ出てくることを、今まで、何一つ残らず書きとめておきたいという衝動が止められなくて、思うがままに書いていた事が、実は今回の母の病気を発見する大きな要因でした。なので、皆さんにとっては、支離滅裂でも、私から見ると、全てが点でつながっていて、一つの線になってきています。昨日の朝、久しぶりに山形に住む兄から電話がありました。今回は不思議なことの連続だったのですが、その不思議な出来事の骨格に、必要なものが手に入るという現象がありました。その一つに昨日の兄からの電話もありました。兄と電話で話すのは、兄は仕事もありますので、どちらかがよほど何か伝えたいことがあるときになります。なので、そう多くはかかってはきませんし、私も何事かと心配をかけたくないので、
かけませんでした。そんな兄からの電話は、今回面白いタイミングでかかってきました。それは兄の噂をしたときと、兄を思ったとき、テレビドラマのような、今でしょ?じゃなく、うそでしょ?のようなタイミングでだったのです。一回目は兄の悪口的なものを言っていたときです(笑)母を引き取って間もなくの頃、母はかかってくる電話、あるいは自分からかけた電話で、いかにも可愛そうな老人気取りで、「私、東京に連れてこられちゃったの、 もう一人で住んじゃいけないって言われたの」と、電話のたびに言うものだから、急に連れてきて可愛そうだと思いつつも、なにも悩んでいなそうに見えていた母が小憎らしくも思えて、冗談まじりにですが、「ちょっとさあ、今度電話がかかってきたら、主語に息子にって入れてくれない?」と言おうとしたその瞬間に兄から電話がありました。それが一回目。2回目は昨日の朝、兄が少し前に送ってくれた書類の中にあった母の手紙を読み終わった瞬間でした。煩雑な介護にまつわる事があまりにも多くて、母からの手紙だし、ゆっくり読もうと思っていて、なかなか読めずにいたのです。習字の先生らしく達筆な字で最後の行にに書かれていたのは、兄と仲良くね。という文字でした。70歳の時に書いたと書かれていたので、それからの母の行動が、なぜそうだったのかがやっとわかった瞬間でした。母の一番の願い、遺言は兄弟仲良くです。遺言を読み終わった瞬間に兄から電話があるなんて不思議ですよね。兄からの電話は、次のような内容です。兄は落ち着いた口調で、昨日のブログを読んで、私の体を気遣いながらも、母の事を心配する、そして母の面倒をこんな風にみてはどうかというアドバイスでした。長年看護師をしてきた兄らしい、そして息子である立場からのお願い事を、私はずっと黙って聞いていました。それから子供の頃の話も、久しぶりに出来ました。母は今まで一人で気を張って暮らして来たから、今はほっとして寝てばかりいるのだと。好きなようにさせてやってくれとも言っていました。大丈夫じゃなくても、どんなときも大丈夫と言って頑張ってきた母さんのように、おまえもそうなのだろうと言ってくれました。私が激しく物忘れをすると書いたことについても、疲れているせいだと思うけど、私の取り越し苦労をする性格から、診てもらえば安心するだろうからとも、 言ってくれました。こういうとき、私の夫の場合は考えすぎもほどほどにしろととても冷たいです。ちなみに、取り越し苦労の原因のひとつに兄の事もありました。兄は私よりも5つも年上で、大きな病気を2つ持っています。なので、年齢的な事も考えると、最後に兄を看るのは私だろうと思っていました。実家の片付け、大変だろうなあとか、兄の家も賃貸だし、汚く使っているから、下手したら修繕費も払うことになるだろうなあとか。これから私の息子は大学に入学だし、剣道部に入るから、私もそうだったけど、部活は出来ないし、小遣い代はアルバイトでかせいではもらえないなあ、最近彼女が出来たばかりで、お金も使うだろうし…母の病気にはどれくらいお金がかるのかな?施設ではどれくらいの費用がかかり、何年入ることになるのだろう?なんていうふうに、あれこれあれこれぐるぐる、色々なことを考えていました。さて、母の話ですが、昔から母は沸騰湯沸し器のように怒りはじめて、汚い言葉で罵る事もありました。その度に私はいつも深く傷ついてきました。そんな母が大嫌いになって、 そんな母から離れたかったこともあって、私は山形を離れたところもありました。兄はそれよりももっと辛い思いをしていただろうと思います。どこもそうだと思いますが、兄弟の一番上というのは要領が悪いもので、私よりも兄の方が親から辛く当たられていたと思います。それでも、兄は人がいいところがあり、私のように、一度は遠く離れて暮らしましたが、 母の近くへと戻っていきました。そんな優しいところがある兄の事を忘れて、私は何も見えなくなっていました。母を引き取って間もなかった頃、 しつこくカキフライやうなぎ、ステーキを食べたがる母に困り、費用がかさんで困っていると兄に電話をしたとき、兄に言われたのは、カキフライぐらい作ってやればと言われて、それどこじゃないんだと思ったことがあります。兄はお金を節約する意味でもそうした方がいいと思って言ってくれたのでしょうが、私自身がが食事をする暇もなく、外に出たがらなくなった母をなんとか外に連れ出そうと、必死になっていたところでしたので、困ってしまったことがありました。ちなみに、おなじものにこだわって食べ続けるというのも、前頭側頭型の認知症の大きな特徴です。なんでそれがカキフライやうなぎ、高級和牛ステーキだったのでしょうね。納豆とかだったら良かったのに…ドジョウと言い出したときはどうなるかと思いましたよ。さて、また話は戻りますが、人の良かれと思って言ってくれたことの受け止め方が悪かったために、私は危うく自分を見失うところでした。これまでも、振り替えれば、自分がイライラしているとき、嘆いているときの原因のひとつは、相手に問題がある場合も多いですが、それは自分の受け止め方が悪かったことだったり、人を許す寛容さがないからという場合が多いような気がします。ちっちゃな人間ほど大きな声で叫ぶみたいなものです。それからカキフライの話に戻ります。兄が兄弟何だから何でも言ってくれと昨日言っていたので、遠慮なく言いますが、私は生まれてこのかた、カキフライは一度も作ったことがありません。 そのアドバイスは、私にはハードルが高いです。それと、母さんが風呂に入りたくないと言ったときは無理に入れないでやってくれ、というアドバイス、もっと早くもらいたかったです。もう遅いです。電話をくれた前の日に、まだ誰もお風呂に入っていない、お湯が入っていない空っぽの湯船なのに、自分はもう入ったと言い張っていました。幸い、孫からの指摘には素直に従うところがあり、お風呂に入れることは出来ましたけけど。それと、母はお風呂が大好きです。入っていないとわかればホイホイ行きます。さくらふぶきさんという芸術家の方が、母にフラワーアートを送ってくれた日、私は三山ひろしさんのDVDをAmazonで注文しました。母が喜んでいなかったのでなぜかと思っていたら、夫の名前で届いていたので、母は開けなかったのでした。 今度は母の名前で届くように設定しなければです。寝ているからと思ってテレビを消すと怒り出すので、仕方なく三山ひろしさんのDVDを聞きながらこれを書いていますが、母が言うように、とても歌が上手で、胸に響いてきます。 私もファンになるかもです。チケット、もう一枚買いました。席が6つ空いてしまいましたが、母と一緒に聞きに行ってきます。母が来てから大変な事は沢山ありますが、結果はすべてオーライです。独り暮らしの母が孤独死でなくて良かった、 最後の時間を一緒に過ごせて良かった、母の激しさは病気のせいだったっことがわかって良かった、このクソババア!と思ってしまう自分との葛藤から解放されて、それだけでもほっとしています。今までなぜ涙が止まらなかったのか、自分でもわからなかったのですが、何十年も母に抱いていた疑問、正義感が強くて、情が深く、まじめで働き者なのに、なぜ時々豹変するのか、その原因を知り、母の本当の優しさがわかったことで、今まで自分が母に抱いてきたネガティブな感情に対する懺悔の気持ちからの涙だと気づきました。これで私は迷うことなく、全力で親孝行が出来ます。 母の遺言通り、兄弟仲良く暮らしていきたいです。前頭側頭型認知症は、末期になると、独特の症状が消えていくと書かれていました。今の母は末期なのでしょうか。昔の、私達兄弟がまだ小さかった頃の母が、最近多く出現しています。というか、ほとんどがそうです。たまに、変なやからがちらっと出てくることがあって、その時は今でも心臓がドキドキするほど怖くはなりますが、 以前よりはずっと少なくなってきています。また、前頭側頭型認知症の人の寿命は発症から7~8年とも書かれていましたが、私の記憶のなかでもし正しければ、45年ほど前に発症していたのではと思われ、それよりもずっと長く生きていることになります。 早く専門医の話が聞きたいですはじめは、めくりすぎていたカレンダー、この頃ちっともめくらなくなってしまいました。薬も飲み忘れるし。相変わらず寝たきりです。いったいいつまで元気でいられるにでしょうね。急いでやってあげなきゃいけないことは何かな。l ←ポチっとお願いいたします♪