伯耆大山 (鍵掛峠~三鈷峰~弥山) その4
歩き始めて3時間半、船上山へと続く稜線に達し、ついに日本海が見えた。 象ヶ鼻(1550m)にまで行くと、眼下にユートピア小屋、その向こうに三鈷峰、下の方には夏山登山口の家屋。奥には日本海。写真左上は島根半島の突端、美保関である。▲ユートピア小屋と三鈷峰 ここまで人を見なかったが、象ヶ鼻を過ぎるとすれ違う人が出てきた。単独行の男性が縦走路に入っていった。象ヶ鼻が縦走路東端で、立入り禁止の看板が立っていた。滑落の危険が大きいため大山山頂部の縦走はもう何年も禁止されている。行く人もいると聞いていたが珍しくないようだ。 ユートピア小屋を越して三鈷峰へ。ここも崩壊箇所の上辺を歩く危険箇所だ。注意を促す看板はあるが禁止ではない。危険といっても、足の置き場に困ったり靴が横滑りしただけで滑落したり、というほどではない。転倒でもしない限り大丈夫。土台から崩れそうな気配だが、それはもう運を天に任せるしかない。▲三鈷峰への道 鋭く屹立する三鈷峰、頂に着いてみれば意外というか、二十名弱は共に展望を愉しめそうな平たい場があった。大崩壊の北壁と弓ヶ浜、三鈷峰は自然に作られた恰好の展望台だった。 伯耆だいせん 霞の帯を 解いて投げたか 五里ヶ浜 (民謡 安来節) 地図のガイドブックに上の唄が載っている。五里ヶ浜は弓ヶ浜の別称と思われる。「そのスケールでいえば丹後の天橋立の比ではない」とも書かれてある。確かに砂洲と見なすにはあまりに骨太で比較は難しい。しかし、浜の描く弧の美しさは見飽きない。 米子市から西の海岸線を地図上で俯瞰すれば、海側に膨らむ円弧が明瞭で、その中心点が大山辺りにあるのもわかる。地図を見て日本海に裾を下ろす姿を想像していたが、いま実際に俯瞰してみれば、大山の裾と言うにはやや平野を挟みすぎているなと思う。ならば円弧との調和は偶然であろうか。いや、数十万年前に遡る大山の火山活動は活発で噴出物の量も相当だったそうだから、やはり大山が拡げたのだろう。 弓ヶ浜を網にどこかから国を手繰り寄せたという出雲風土記のあの神話 ――、大山をただの杭にしたのは抜かりであろう。土地を広げる力はその杭にあったのだ。 <つづく>▲三鈷峰より弓ヶ浜を望む。(ケルンの右、円弧を描く浜が弓ヶ浜)