医療過誤
日本では年間約100万人が死亡している。約35万人が癌で、約15万人が心臓病、脳の病気で約14万人。死因の約2/3が、癌か心臓か脳である。 こういう統計に接すると病の恐ろしさをまずは感じてしまうが、別の見方をすれば、致命的なのは僅かこの3点にまで絞り込まれたとも読める。他の病気や部位を患っての死亡率は目立たなくなるまでに日本の医療技術は高くなったのだ。長寿大国、医療大国といった言葉が日本に冠せられることに私たちは耳慣れている。高齢化社会もしかり。医療様々の世の中である。 致命的でない病を食い止めるため、また致命的な病であっても延命を図るため、私たちの多くは遅かれ早かれ医療の厄介になる。◆ "To err is human, to forgive divine." (過つは人の常、許すは神の性) 『人は誰でも間違える』という本は、アメリカにおける医療過誤の報告書である。原題は"To err is human"。医療過誤とは?―― 医療行為を受けた結果、患者が不幸な結果となったものを「医療事故」という。医療事故のうち、医療側に過失があるものを「医療過誤」という。口頭で「過誤」が伝わりにくいからか、マスコミは「医療ミス」という語を同義で使うようだ。 この本によると、およそ交通事故死と同等数の人が医療過誤で亡くなっているという。冒頭の死因で交通事故は約1万人。医療過誤は他の死因のうちに隠されているのであろうが、この日本で一日約30人が医療過誤で死んでいると推計できる。 死に至るケースで1万件であるから、その手前の後遺症で留まるケースをいれると何倍かに膨らむだろう。まだ繋げられる命ならば、と望む限り医療のお世話にはならざるを得ない。一方で「過つは人の常」、医療過誤のリスクは不可避である。交通事故は注意次第で回避率を高められるが、医療過誤には限度がある。不幸にして自身があるいは家族が医療過誤に見舞われたら。 先例はごまんとある。患者側が過失だと指摘すれば医療紛争へと発展する。示談が決裂すれば医療裁判に持ち込まれる。平穏な暮らしをしていれば、医療も裁判も縁遠い世界である。しかし、いつなんどき渦中に巻き込まれるかしれないのである。 街中を走っていると交通事故の現場を時折見かける。道路脇で警官の事情徴収を受ける2台の車。交差点に散らばるガラスの破片。それらと変わらない頻度で医療過誤も発生しているといえる。手術室のなかや病室のカーテンのなかといった他人の目に触れないところで。◆ 今回、医療過誤とその周辺のことがらについて調べる必要に迫られた。その過程で得た情報や知識を、断片的にはなるがここに記していこうと考えている。ただその目的は、ブログを通して世に訴えるというものではなく、書籍から得た知識なりを自分なりに咀嚼して、他者に伝え易い形で記憶させておくために「書く」という行為の力を借りるところにある。参考書籍:『医療事故知っておきたい実情と問題点』押田茂實著