こち亀(9)新宿(にいじゅく)の「鍵の手」
亀有から中川を越えると、新宿(にいじゅく)です。新宿には「鍵の手」と呼ばれる、旧水戸街道が直角に曲がる道があります。なせ直角に曲がる道を作ったのか不思議ですが、小田原・北条氏が作ったとの事で、防衛の目的でわざと道を曲げたのではないかと想像しました。↑ 両さんと歩く下町ー『こち亀』の扉絵で綴る東京情景/秋本治/2004年11月22日発行。p29。葛飾区新宿(にいじゅく)。手前に中川橋。画面奥が「鍵の手」(1994年)。↑ こちら葛飾区亀有公園前派出所 第117巻。p5。両さんの亀有歴史散歩の巻。↑ 「新宿(にいじゅく)」「コミックス94巻「ベーゴマ名人両津!!」挿絵に。直角に曲がる都内でもめずらしい道。鍵の手(かぎのて)式とよばれ、江戸時代に小田原・北条氏によって作られた。↑ 葛飾柴又 魅力再発見(表紙)/2020年(令和2)3月発行。(3刷)発行/葛飾区産業観光部観光課。↑ 葛飾柴又 魅力再発見(裏)/2020年(令和2)3月発行。(3刷)発行/葛飾区産業観光部観光課。(上)昭和戦前期の葛飾区地図。(下)昭和11年ごろ。葛飾区の航空写真。国土地理院。↑ 昭和戦前期。新宿(にいじゅく)の鍵の手の道が見える。↑ 昭和11年頃の航空写真。新宿(にいじゅく)の鍵の手の道が見える。↑ 葛飾柴又 魅力再発見/2020年(令和2)3月発行。(3刷) 発行/葛飾区産業観光部観光課。p54の地図。p54。新宿(にいじゅく)の鍵の手の道がはっきり分かる。ーーーーーーーーーーーーーーー↑ 中川に架かる中川大橋。(国道6号線)。↑ 中川大橋と中川。↑ 中川を越えると新宿(にいじゅく)。↑ 新宿(にいじゅく)の鍵の手の入り口。↑ 6号線の歩道橋。↑ 鍵の手の入り口は右側。↑ 6号線から鍵の手の道に進む。↑ 真っすぐな道だが、奥で直角に曲がる。鍵の手と呼ばれる。↑ 途中にある「浄心寺」。↑ 浄心寺。↑ いちょうの木。↑ 浄心寺の中にある「清水巡査部長の墓」の看板。昭和11年(1936)2月26日早朝、陸軍内部の皇帝派青年将校は武力によるクーデターを図り、約1,400人の部隊を出動させて国会・首相官邸一帯を占拠し、陸軍上層部に国家改造の断行を要請した。2.26事件の発生であった。当時警視庁巡査部長であった清水与四郎氏は、岡田啓介総理大臣の鑑定警戒勤務中にこの事件に遭い、機関銃などの乱射を受けて命を落とした。この事件の責めをとり、岡田啓介内閣は3月に総辞職をしたが、この霊に報いるため、岡田氏の手によって、8月にこの墓碑が建立された。↑ 浄心寺の中にある清水巡査部長の墓。↑ 「新宿(にいじゅく)一里塚」停留所。 この付近に一里塚があった。↑ 「中屋のせんべい」の先が、鍵の手の曲がり角。↑ 日枝神社の石柱。↑ 路地の奥に日枝神社がある。↑ 鍵の手の曲がり角にある山王保育園。 横に中島守利氏の銅像が見える。↑ 中島守利(なかしまもりとし)氏の銅像。中島守利氏は新宿(にいじゅく)出身の政治家であり実業家で、長年衆議院議員を務めた。↑ 旧水戸街道の鍵の手の曲がり角。↑ 直角に道が曲がる。↑ 途中にある西念寺。↑ 西念寺。↑ 西念寺。↑ T字路に出る。↑ T字路から宝蓮寺が見える。↑ 宝蓮寺。↑ T字路の側は中川橋があり、切り取られたタブの木がある。中川橋東橋詰にあったタブの木は、昔から街道を往来する人々の「道しるべ」であった。しかし平成4年から始まった中川橋架替え事業に伴い、移植が不可能であったので伐採された。現在植えられているタブの木は、伐採に先立って穂を採取して育てた苗木である。↑ 伐採される前のタブの木。↑ 伐採されたタブの木と、建て替えられた中川橋。↑ 中川橋から見える東京スカイツリー。↑ 中川と新宿(にいじゅく)の桟橋。↑ 中川。↑ 中川を越えると、アリオ亀有が見える。