オランダでのスケート(キンデルダイク)
オランダで生活をしていたとき、毎年冬になり運河に氷が張ると、風車群で有名なキンデルダイク(Kinderdijk)でスケートを楽しみました。キンデルダイクの風車群は観光地として有名で、1997年には世界遺産として登録されました。日本ではスケートをしたことがなく、オランダでスケート靴を購入し、車でキンデルダイクに行きました。運河でスケートを楽しむオランダ人達が、私の下手さを見かねて滑り方をアドバイスしてくれます。中には手取り足取り教えてくれる方もおり、少しづつ早く滑ることができるようになりました。風車の景色を眺める余裕もできてくると、楽しさが実感できます。氷が薄い部分には、立ち入り禁止の黄色いロープがありました。オランダ人の話では、氷が割れて毎年死傷者が出るとの事です。家族連れも多く、小さい子供達が運河でスケートを楽しむ姿を見ると、オランダ人のスケート好きが分かりますし、スケート人口や層の厚さを考えると、オランダがオリンピックのスピードスケートで上位を独占する事も理解できます。キンデルダイクの風車群の先にはIHC HOLLAND BVという造船所があります。旧Fop Smit造船所で、ホップスミット氏が設立しました。1838年には東インド会社の遠洋航海用船舶を初めて建造しました。この会社が徳川幕府の依頼を受け、1855年に咸臨丸を建造し初め、1857年2月に船腹が完成します。オランダ名はJAPAN(ヤーパン)号です。その後マース川を下り、ロッテルダム南側のフェイエノールト(Feyenoord:サッカーチームで有名)で蒸気機関や艤装品を装備し、最後にマース川の隣にあるハーリングフリート川のヘレベートスライス(Hellevoetsluise)軍港で武器が付けられました。1857年3月に出向し、喜望峰を経由して同年9月に長崎に到着しました。同船は太平洋を横断し、サンフランシスコに行った話は有名です。オランダでは、司馬遼太郎さんの「オランダ紀行 街道をゆく三十五 /朝日新聞社」を何度も読みました。同本のP293~P302、(朝日文芸文庫はP233~243)の「『地獄への第一歩の水門』港」に、司馬遼太郎さんが上記ヘレベートスライス(地獄への第一歩の水門)港を見に行った事や、その昔、キンデルダイクの造船所を見たことが書いてあります。キンデルダイク(赤ちゃん堤)の伝説の記載もあります。洪水の後、赤ちゃんと猫が乗った板が堤に流れ着きます。赤ちゃんが寝がえりを打って板が傾くと、猫が移動して板のバランスを保ったようで、この地の名前がキンデルダイクになりました。オランダでは、夏は湖で小さいヨットを借りて練習しました。風を読みながらヨットを前に進むのは難しかったですが、風に向かってジグザグに行くことができると嬉しかったです。知り合いの人に進められてウィンドサーフィンにも挑戦したものの、ボードに乗る前にひっくり返り、何度練習してもダメなので諦めました。天気が良い日はオランダの田舎を自転車で旅行したりしました。チューリップの季節は大地が色とりどりで美しかったです。昔の写真が整理できたら、少しずつ掲載したいと思います。