北海道自転車旅行(14)旅の記録
1986年8月9日から8月21日まで、自転車で北海度を旅行しました。広島、東京、上野、青森、函館、大沼、長万部、洞爺湖、オロフレ峠、登別、岩見沢、網走、能取湖、サロマ湖、小清水原生花園、斜里、宇登呂、カムイワッカの滝、知床峠、屈斜路湖、摩周湖、美幌峠、美幌、北見、上川、層雲峡、旭川、富良野、札幌、千歳、広島。当時はスマホなど便利なものが無く、持参した地図帳で自分の位置を確認し、旅先で出会った人たちと情報交換をするのが重要でした。サイクリスト達から、このルートは景色が良いとか、このルートはきついし危ないので避けた方が良いとか、生の情報を聞くと、参考になりました。旅で知り合った方々とは、住所・氏名情報を交換し、後日、手紙を書いて焼き増しした写真を付けて送ったりしました。先方から地場の名産品を頂くことがあり、私からは広島のもみじ饅頭を送っていました。北海道で知り合った人から、自転車旅行で広島に来たので、今日宿泊させてほしいと急に電話があったことがありました。夕方だったのですが、母親に話すと、料理と蒲団の用意をすると言ってくれたので、2人のサイクリストを迎えに行き、家で食事会をし、寝てもらいました。その後、東北で知り合った方も、うちの家に泊まられたことがあります。当時はフィルムカメラで撮影していましたが、フィルムがちゃんとセットされておらず、写真が撮られていなかったこともありました。北海道旅行で撮影されていなかった時期があり、本当に残念でした。今ならデジカメやアイフォンで簡単に写真が確認できるので、良い時代になりました。自転車がパンクしても緊急対応できるよう、旅行前に練習しました。修理用具も持参して旅をしました。旅行中は、広島の両親が心配するので、時々電話して、現在地や見た事をを手短に伝えました。電話料金が高く、電話ボックスがあれば、1分程度話しただけで電話を切りました。テレフォンカードを買って使用しました。今ならラインで簡単です。昔はコンビニなど便利な店は無かったので、大きな町で飲み物を買って自転車旅行をしていました。何十キロ走っても、店が全然ないという事は普通でした。函館駅の電話ボックスで電話をした後、長万部に向かいました。ところが途中の大沼で、函館駅の電話ボックスの棚に、ノートを置き忘れたのに気が付きました。ノートには、広島から函館までの記録と、観光地のスタンプを押していました。大沼駅の電話ボックスから函館駅に電話して、ノートについて相談しました。函館駅の駅員さんは、探してみると言われました。北海道旅行から帰り、数日後、私の家に郵便物が届き、中にはノートが入っていたのでビックリしました。函館駅の方に、お礼の手紙ともみじ饅頭を送りました。今回ブログをまとめるにあたり、函館までの記録と記念スタンプを紹介できたのは、そのノートがあったおかげです。函館駅の方に感謝します。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 北海道のお土産。ステッカー (PRODUCED BY MATSUHIRO CO.,LTD.)このデザインの旗も購入し、自転車に付けて北海道を走った。↓ カードケース(PRODUCED BY SAPPORO MATSUHIRO CO.,LTD.)↓ 愛国から幸福へ (釧路鉄道管理局)当時、愛国駅、幸福駅に行くと、幸せになれると言われていた。↓ 国鉄の「青春18きっぷ」 旅行中に参考にした本。↓ マップルガイド17 北海道/昭文社/昭和61年(1986年)5月第4刷発行。北海道旅行の観光地情報は、この本と、地元のパンフレットを読んで知った。↓ コンパニオン 道路地図帖 北海道編 /ワラヂヤ。この青い地図帖を持って、北海道を旅した。見やすくて、とても重宝した。北海道編は青色、東北編は黄色で、表紙が目立った。↓ 北海道グーンとワイドカタログ/アウトドア研究会/大和出版ーーーーーーーーーーーーー↓ 私が学生時代に作っていた冊子。(6冊目:北海道旅行特集)WINDOW SHOPPING VOL.6 1986年8月9日~8月21日忙しくなり、残念ながらこの6号冊子だけが、未完となってしまった。↓ 表紙は、私と自転車の絵を描こうとしていた。下描きだけ。↓ 1986年8月9日、上野駅の改札で切符を切ってもらう姿のメモ。分解型自転車が入った袋を左肩に掛け、背中、右肩にも荷物を一杯掛けている。ーーーーーーーーーーーーー↓ 1986年8月9日~10日、上野駅から青森駅まで、深夜急行「八甲田号」に乗車した。満席で、仕方がないので通路や席の足元の空間に、新聞紙や雑誌を敷いて座った。周りの人と仲良くなり、飲み食いしながら色々な話をした。列車内は冷房が効きすぎ、お腹を壊して何度もトイレに行く人がいた。皆が身体を寄せて通路を空けた。(下書き)上野21時14分発、青森9時10分着 東北本線 深夜特急「八甲田」にて。↓ お腹を壊して、何度もトイレに行く人。ーーーーーーーーーー1986年8月12日、サイクリストの人と知り合い、洞爺湖で一緒に花火大会を見た。洞爺湖火山科学館で自転車を置いて、2人が寝る用意をしていたが、バイクで旅行中の3人が一緒に寝たいと言ってきた。夜に私達が話をしていると、バイクの人たちが「うるさいから眠れない」と言いだし、喧嘩になりそうになった。結局私達が外に出て、知り合った人が設置したテントの中で寝る事になった。(下書き)ーーーーーーーーーーーーーー1986年9月13日、登別でクマ牧場に行き、ユーカラの里を見学した。そこで大阪から遊びに来ていた3人の女性達と会い、色々な話をした。印象に残っていたので、マンガに描こうと思った。(下書き)ーーーーーーーーーーーーーー1986年8月13日、登別の地獄谷で知り合った2人と一緒に、登別・第一滝本館に行った。1500円で温泉に入った。中にはウォータースライダーもあり、皆で遊んだ。夜は登別駅で、サイクリストなど皆で集まって、パーティーをした。旅の話を色々聞くことができて、とても楽しかった。(下書き)ーーーーーーーーーーーーーーー1986年8月15日、網走駅で分解型自転車を組み立てていると、色々な人から声を掛けられた。北海度を電車とバスで旅しているという女性と話をした。とても笑顔の可愛らしい人だった。「またお会い出来たらいいですね」と言って別れた。北海道は広いので、もう会う事は無いと思った。自転車で能取湖、サロマ湖まで行き、再び網走駅に戻った後、斜里駅まで走った。途中の小清水原生花園に行ったとき、「こんにちは」と声を掛けられ、見ると網走で朝に会った女性だった。私の麦わら帽子を見て気が付いたとの事。原生花園とオホーツクの夕日を見ながら、色々な話をした。ここで別れたのが、本当の別れになったが、私の中ではとても印象深いエピソードだったので、描こうとした。(下書き)ーーーーーーーーーーーーー1986年8月17日、斜里駅から自転車で野上峠を越えて、川湯温泉に着いた。その後、自転車で「屈斜路湖」まで走った。上りはきつかったが、キラキラ輝く湖面が見えてきたときは感動した。この日夕方には、屈斜路湖から美幌峠まで自転車で進んだが、股ずれ、尻ずれで激痛が酷く、再び屈斜路湖に戻った。知り合った人と和琴温泉で温泉に入り、患部をマッサージした。二人ずつに分かれてコテージに入ることにした。私はすぐ寝たが、夜中に起きると、隣にいた人の姿が無かった。びっくりして隣のコテージに行くと、その人がいた。私のイビキがあまりにもうるさく、寝られないので移ったとの事であった。(下書き)ーーーーーーーーーーーーー下書きさえも描いていないページが沢山あった。下は、昭和新山やオロフレ峠の事を描こうとして、途中で止まっている。↓ 下は雑紙に速記したもの。網走駅にて。↓ 網走駅にて。↓ 年賀状の一部。摩周湖。 プリントゴッコで印刷。ーーーーーーーーーーーーーーー「ひろしまフラワーフェスティバル」(1986年5月3日~5日)ノート。このノートに広島から函館まで、メモや記念スタンプを押していた。函館駅の電話ボックスの棚に、ノートを置き忘れてしまった。大沼駅で気が付き、函館駅に電話して相談すると、探してみるとの返事を頂いた。旅から戻った後、ノートの入った袋が広島の実家に届いた。函館駅の方から送られたもので、本当に感謝した。これが無いと、最初の頃の事が想い出せなかった。↓ 広島平和大通りのパレード会場。↓ ノートに私の住所と氏名を書いていた。ーーーーーーーーーーーーー↓ ノートを函館駅で忘れたのに気が付いた後、広島銀行のメモ帳に、旅のメモを書いて記念スタンプを押した。広島銀行のメモ帳↓ 今は無き、広島市民球場が写っている。↓ 記念スタンプを押していった。