名古屋・ノリタケの森(2023年6月17日)
2023年6月17日、名古屋のノリタケの森に行きました。陶磁器メーカー「ノリタケ」が創立100周年を記念してオープンしました。工場敷地内にあった6本の煙突が、モニュメントになっていました。ーーーーーーーーーーーー↓ ノリタケの森。6本の煙突モニュメント。 ↓ 1933年~1979年↓ 6本煙突のモニュメント。巨大な6本のモニュメントは、1933年工場大改造時に建造された陶磁器焼成用トンネル窯の煙突の後です。その根元には窯から排出される煙を煙突に送るための煙道も姿を見せています。1960年末から1970年代初頭には年間550万個のノリタケチャイナが生産され、世界中へ輸出されていきました。その生産を支えたこの大煙突は、当時45メートルの高さで、テレビ塔が建てられるまでは、名古屋城と並ぶ最も高い建造物の一つでした。1979年工場移転と共にモニュメント部分を残し撤去されました。↓ イオンモール ナゴヤノリタケガーデン。↓ 長男とその友人。↓ 長男。↓ ノリタケの森ギャラリー。↓ 赤レンガ棟。煉瓦(レンガ)は日本の開国と共に幕末から輸入されはじめ、明治になると国内でも作られ、文明開化のシンボル的存在として、多くの建造物に使用されました。1904年に建てられた日本陶器合名会社の工場も煉瓦造りでした。この赤レンガ棟は当時の建屋で、現存する唯一のものです。森村市左衛門ら創立者6人の宣誓文埋められるなど、当時の想いが込められた建物で、貴重な産業遺産としてその姿を今にとどめています。↓ ノリタケミュージアム / クラフトセンター。↓ 新幹線とノリタケの6本煙突。1969(昭和44)年頃。昭和39年(1964年)に東海道新幹線の東京・新大阪間が開通した。大阪方面からの登り列車で名古屋に下車する乗客は、ノリタケの6本煙突が見えると席を立ったといわれている。↓ 当時のノリタケ工場模型。↓ オールドノリタケ。「オールドノリタケ」とは、明治中期から第二次世界大戦終結までの間に、森村組と日本陶器(現・ノリタケカンパニー)が製造販売し、米国を中心として海外に輸出された陶磁器の総称です。花瓶などの装飾品から洋食器揃えまで多種多様な製品があり、西洋の美術様式や当時の流行を巧みに取り入れてデザインされ、さまざまな技法を駆使して作られていました。これら「オールドノリタケ」は、クラフトセンター3、4階のノリタケミュージアムでご覧いただけます。↓ 色絵金盛薔薇風景文鉢。1908~1926年。↓ 色絵金盛果実文双耳花瓶 1891~1921年↓ 瑠璃金盛ディーセット。 1911~1921年。↓ 金銀彩鳳凰文 24ピースディーセット。↓ ノリタケカンパニーリミテッド。