餅つきについての想い出です
餅つきの想い出1月6日、東京・多摩市の「ほっとセンター多摩」でしたが、新年会の一つとして、餅つきが行われました。今では、こうした餅つきの光景は、珍しいものとなり、むかしを懐かしむ面々が、子どもたち以上にまわりに集まってきました。当方も、またその一人で、みかん販売の方はひと休みにして、それに加わったんですが。当方の田舎は、神奈川県の西部真鶴です。小学校、中学校の頃までは、どこのお宅でもそうだったんですが、暮れの12月27,28日頃には、朝早くから餅つきをしていました。1960年代前半くらいまでは、恒例の家族行事だったんです。20臼まではいきませんが、近所で頼まれたものも含めて、15臼くらいはついていたんじゃないでしょうか。つき手は、父が主でしたから、一人でそれをこなしていたんですから、今にして思えば、たいへんなことだったでしょうね。いくら手伝おうとしても、私などは、そう役には立たなかったでしょうから。それで、その時に、私も杵のふるい方を教わったんです。左手は梃子の支え手で、それが乱れると体の動きがバラバラになるよ。杵を持ち上げるには、左手を梃子の原理で、右手を杵の先に延ばして持ち上げれば楽だよ。杵自体が重さがあるから、下ろすにはたいして力はいれず、中心に落とすよう注意すればいい。ずっと力を入れどうしだと、すぐにくたびれるから、持ち上げる時だけ力をいれればよい、と。もう、そうした時から、40,50年が過ぎてしまいました。最近では、ついている餅の真ん中に、憎たらしい奴の顔を思い浮かべてれば、しっかりとした餅がつけるよ、なんて悪たれ口も加わります。じっさいにも、精魂加わると、お餅の伸びが違ってきます。といったわけで、あちこちで餅つきの光景を目にすると、むかしとった杵柄を想いだして、ついつい、「わたしにも、一つ」としゃしゃりたくなるこの頃です。