50年前の真鶴中学生の仲間たちと交流、同窓会に出かけてきました
真鶴が違って見えました9月4日、真鶴中学校の同窓会が開かれました。四回目とのことですが、なにしろそれから50年が過ぎてます。こうした機会でもない限り、それぞれ一同に交流する機会はありませんから。そこここで、昔と今の交流が交わされてました。確認し損ねたんですが、42名の参加だったとききました。とうほうは、真鶴へは、草刈り仕事でよく行きます。2人、3人くらいなら、その際に話す機会もあるんですが。普段は多くの人たちは、それぞれ近隣のあちこちに暮らしているわけですから、会えるはずもないのですが。しかし、この時ばかりは、これだけの面々が集まりました。こうなると、顔と名前の一致しない人たちも出てきます。まぁ、仕方ありません。50年のブランクは、大きいですから。それぞれ自己紹介したんですが。幹事さんたちは、せっかくみんなが戻ってくるというので、お店の協力を得て、きばりました。真鶴の海の幸を、豪華にたっぷりと用意してくれました。これだけではありませんが、他にもたくさんならびました。しかし、これだけでもさすがです、すごいものです。だいたい、子どものころは、ウニなんて食べなかった。いまでもそうですが。遊んでいて足に出も刺されば、ハリを抜くまで痛い思いをさせられて、こんなもの! と、ポイポイ捨てていたものでしたが。しかし、たべてみると、やっぱりおいしいんですね。この料理も、これだけりっぱなものは、食べたことはありません。しかし、今日は、それすらも刺身のつまでしかありません。人もよし、たべものもよし、でしたから。14,5歳だった面々が、いまや64,65歳になっちゃっていて、目の前にいるこの65歳のオジサンやおばさんは、いったい誰だったっけ・・記憶を絞る。一度でもあっていれば別ですが、なにしろなかには、まったくこの50年間、会ってない人もいるわけですから。ところが、突然、フラッシュバックで記憶がつながる人が出てくるんですね。しばらくたつと、あちこちに、あれやこれやで昔と今の交流の輪が出来ました。あちこちで、新たな交流の輪ができていました。当方のみかん栽培を指導をしてくれた「先生」もいます。他の小中高の同窓会で顔を合わせている人たちもいます。体を壊したと聞いていた人も、しっかり元気な、わらい顔でいます。それでも、記憶がつながらない人たちもいたんですが、それも50年ぶりじゃ仕方がなし。参加できなかった人たちも含めて、それぞれの所在もがんばって、まとめてくれました。草刈りに出かける日々とはちがって、この時・この場所では、うつろだった真鶴が、別な世界によみがえったような、不思議なひと時でした。