今年も新茶の季節になりました、しかし複雑です
新茶が入りました今年も新茶がはいりました。 (5月17日)新茶というのは、少し甘いんですね。それに、舌がしびれるような余韻がのこります。そして、一番は新緑の香りです。ことしは、静岡県の藤枝市でお茶づくりをしている方から、分けてもらい、送ってもらいました。4月28日-29日に静岡の藤枝で、「お茶摘み交流会」があり、それに参加したことでの副産物です。 (4月29日)これが、八十八夜を目前にしたお茶畑の様子です。お茶摘みの様子です。規模の大小はあっても、大体これが、この時期の共通の大地の恵みのはずでしたが。神奈川県の西部の茶畑は違っています。すでに紹介したように、4月12日にJAの主催で、お茶の木の中切り講習会がありました。 (4月12日)茶摘みではありません、お茶の木の枝切りの講習会です。海岸線の残留放射能が、基準値より高いというので、お茶の木を、根に近い所で刈り込んで、放射能を下げるために、枝先については、切って捨てろという講習会でした。当方も、神奈川県西部のみかん園ですが、みかん園の周りには、お茶の木が植えられています。当方も、ごく、ささやかですが、土手に植えられています。ここから、例年なら200グラム強の新茶ができるのですが。この講習に参加して、地域の共同に足並みをそろえました。 (4月25日)模範的に中切りを実施しました。この結果は、今年はもちろんですが、この先2,3年は、お茶のまとまった収穫が期待できないということです。というより、お茶の木が枯れてしまわないか、それが心配だったのですが。お茶摘み交流会で、ベテランから『大丈夫だ』と励まされて、胸をなでおろしました。5月16日に、その後のお茶の木の様子を見て見たのですが、 (5月16日)わかるでしょうか、よくみると、1つ、2つ小さな芽が出ています。やはり、ベテランの指摘の通り、枯れてはいませんでした。なんとかお茶の木は、命を甦らせつつあり、やれやれです。しかし、新緑の茶葉を従来くらいに回復するには、かなりの期間が必要です。そうしたわけで、今年は本場・静岡の新茶に頼ることになりました。この季節の味は、それでしか味わえなくなったわけです。例年とでは、自前と静岡、主と客が逆転しています。というよりも、主なしの客だけとなったわけです。東電には、原発推進者たちには、自らがしでかした結果を多少となりは認識しているのでしょうか。農家のこうした苦渋をしいている結果に、少しは謝罪する気持があるんでしょうか。実際は、風向きをみながら、またぞろ原発を再開しようと、あの手この手をろうしています。もはや、絶対に自然を汚してはならない、そのために万全の手をつくすこと。それが、政治家と経済界の、担当者の責任というものです。