和のこころ
(村外れの道祖神 砂天狗撮影)和とは、元々は「礼記」儒行の中にある言葉で、平和のほか、他との調和、融和を表し、自分自身とも、他人とも、仲良くすることを指すんだ。"自分自身"ということは、自己愛も含まれてんだね...日本の国を表す古い表現は「和」。日本は"和の国"。 小さな島国で、助け合いの精神を脈々と継承し養ってきた民族なんだと思う。「和を以って貴しと為す」は、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条にある条文だ。今から約1,400年もの遥か昔から、憲法に書き記すほど和を尊重する国だったことが、歴史の中にも垣間見ることができるね。元来、他者との友好的で平和的な共存に価値を見出すのが、日本人の美徳であり、日本の伝統的な精神文化の一つだった。そんな、「和」のモラルを尊ぶ国の心が、いつから変化したんだろうと残念に思う。敗戦を機に、欧米から持ち込まれた個人主義が、他を重んじる日本の精神文化を滅ぼし、日本人の生き方そのものを変えてしまったと嘆く人も少なくない。欧米型個人主義と、利益優先の市場主義が、他人を顧みることのできない人間を増やしたと指摘する人もいる。砂も、これは確かに原因の一つだと思うよ。また、個人主義と背中合わせにある精神的孤独に慣れていない日本人は、何か問題が生じた場合、一人で抱え込んでしまうと危惧している知識人も多い。現在のように、社会不安が高まってくると、こうした人は益々社会に取り残され、追い詰められてしまう気がするよね。日本人の祖先は、古来から森羅万象のすべてに魂が宿るとする考え方を持ち、人々は自分自身もまた自然の一部として、八百万の神々の懐に抱かれて生きた。こうして自然に対して畏敬の念を持ち、人々はともに喜びや悲しみを分かち合い、互いに助け合い、励ましあって共存してきたんだ。そんな精神土壌から、聖徳太子の「和」の精神が生まれたんじゃないかと思う。聖徳太子が、はじめて日本に制定した、十七条憲法の第一条に記された「和」は、日本人の心の根幹にあるべきもので、日本を救う"道しるべ"となるかも知れないよ。明日は、近畿も全般的に雨の予報なんだけど、よほどの土砂降りでなくて、もし天候が許せば、伊勢神宮へお参りしようかと思ってるんだ。クルマで、片道4時間ほどのドライブ... さて、行けるかな?