幾松の恋
桂小五郎と幾松長州藩士 桂小五郎(木戸孝允)は吉田松陰の弟子で、西郷隆盛、大久保利通らとともに、"維新の三傑"と並び称される人で、今でいうちょっとしたイケメン男だった。イケメンでヒーローともなれば、恋の話がつきもの。そんな、桂小五郎が幕府に常に命を狙われ、危険の中にあった勤皇の志士の時代、彼の傍で護り続け、支え続け、ひたむきに愛し続けた女がいた。池田屋事件に続く禁門の変で長州藩が敗れると、小五郎は幕府のお尋ね者となった。小五郎が、京都を脱出し出石に逃れるまでの潜伏中、献身的に尽くしたのが幾松だった。幾松は、京都三本木界隈では、一際、美貌の芸妓として有名だったそうだ。彼女自身が新撰組や幕吏に監視されていて、身の危険は切迫していたんだ。小五郎は今出川の東の一間四方の掘立小屋に乞食みたいな身なりで隠れ潜んでたが、彼女は危ないと感じたときは、実家の母親に頼んで食料を運んでもらったらしい。【送料無料】桂小五郎価格:1,680円(税込、送料別)その後、対馬藩邸出入りの広戸甚助と直蔵兄弟の手引きで、小五郎は無事京都を脱出し出石に入った。小五郎は、出石から新たな行動を起こすつもりだったようだけど、幕府側の探索の手は厳しくて、とても動けるような状況ではなかった。出石に逃げのびた小五郎は、哀れに思うほど幾松を案じて武士の体裁も捨てていた。甚助宛に手紙を出し、くどいほど幾松のことを頼むと書いてあったそうだ。さすがにあとで女々しいと思ったのか...翌日、仲間の直蔵宛には「昨日の甚助さんへの手紙はかならずお返しいただくか、破り捨てていただきたい。おとといの晩、眠れなかったのでつい書いてしまったけれど、今さら別に申すこともなく、野に倒れ山に倒れてもさらさら残念には思いません...」と、ちょっと繕って弁解の手紙を送っている。(笑)小五郎自身も、幾松をよっぽど愛していたんだろうね。甚助は十一月末に京都に入り、幾松が無事に馬関に逃れたことを確かめ、翌年二月初めには馬関を訪れて、幾松や長州の村田蔵六(後の大村益次郎)に会った。幸い情勢は好転して、幾松が出石まで小五郎を迎えに行き、二人は無事に再会できた。こうして、維新明治を迎えて二人は結婚した。どん底の時代に、命がけで恋人を支え抜いた幾松(松子)の変らぬ愛情は報われた。だけど、命がけの恋をした二人の幸せは、それほど長くは続かなかった...激動の幕末を生き抜いた桂小五郎(木戸孝允)だったけど、新政府内での権力争いに、心身ともに疲弊して病を発症し、明治十年五月、45才という若さで病没してしまい、その九年後、木戸松子(幾松)も43才でこの世を去った。もしかすると命の危険に晒されていた幕末の頃が、二人にとっては一番幸せな時期だったのかも知れないね。一途な命がけの恋... 今の日本には少なくなった気がする。