富士ファミリー2017 / 木皿 泉
■もしも今年の大晦日にあなたは生を終えるなんて主治医でもない誰かに言われたらどうするだろうか。それはそれを予言した人が自分にとってどのような存在であるかという部分が大きいのだろうな。■生きていられるのはあとこれくらいですよと断言されたとしたら、真っ先に何をするだろう。残しておいたら恥ずかしいものを徹底的に処分するのか。あるいはこれだけは私の事を覚えておいてもらうために捨てないでほしいと誰かに託すのか。ではその誰かって誰だ。■薬師丸ひろ子は今のうちにそこにある物、そこにいる者の痕跡を忘れないためにそれらを両手で慈しむように撫でる。幽霊になってしまった小泉今日子はまだそこにいるくせに(片桐はいり以外には)誰の目にも見えないし、そこにある物や者に触ることすらできない。■玄関から人が出入りするたびに部屋は呼吸しているのだという表現。行ってきますとドアが開き、ただいまと帰ってまたドアが開く。できればその部屋の中にはいってらっしゃいやおかえりなさいと応えてくれる誰かがいてくれるに越したことはない。これは深呼吸ねと再び玄関に顔を出した時の高橋克実の顔の優しさ。■福袋を開ける時のワクワク感はいくつになっても、どんな境遇にあっても変わらない。大当たりがおはぎ百年分であったとしても、それがどのくらいの分量で、どうやって食べ尽くせばいいか考えるより先に無条件にうれしく思うはずだ。だって人ひとり生まれ変わるために、おはぎひとつで充分なのだから。■福袋を詰める側の人たちのことを考えたことはなかった。何を入れたら喜んでもらえるのかなと想像しながら、その中にモノを入れる作業は楽しそうだ。ただいらなくなったものとか、捨てようと思っていた自分の私物を混ぜるのは良くないと思う。■胸のところに自分の名前が縫い付けられている小学校の時の体操服は捨てられないし、福袋の中にも入れられない。それを赤ちゃんの寝巻に加工した仲里依紗に泣ける。あれもまたコスプレの延長線上にあるというわけではないと思うが。もう着られない体操服のエピソードは同じ木皿作品の傑作「野ブタをプロデュース」にもあった。堀北真希のそれは支援物資として運ばれアフリカの子供の手に渡った。■富士山ナンバーの自動車に乗っている人はみんな善人に見えるようなドラマだ。たしかにあんなに大きく日本一の山が見られる地方に住む人たちには特権がある。ただ私の住む地方にも、そして日本全国色んな場所に富士見町はある。よって富士ファミリーはあそこだけの話ではない。PS■前回のエンディングテーマはマキタスポーツの「情熱の薔薇」、そして今回は薬師丸ひろ子が歌うユーミンの「Happy New Year」だった。ということは次回2018は小泉今日子か。ちなみに私が今回の作品を見て最も相応しいと思ったのは矢野顕子の「また会おね」忘れない 忘れない この家 この街忘れない 忘れないあの目を あの手を あの日をあふれる想い あなたの家の前に置いてきたのよ 誰も見てないサヨナラ サヨナラ