さよなら渓谷 / 吉田修一
■たしか小学校高学年だったと思うが、祖母を背負っていて、いきなり力任せにストンと落としたことがある。「痛いなぁ、ひどいなぁ」なんて半分笑った顔で言っていた祖母のその時の痛みは今想像すると相当なものだったと思う。同じ頃、通っていた小学校の下級生に(理由は忘れたが)、何人かでふざけて石を投げつけたことがあった。その晩、家にその下級生の母親から連絡が入ったそうだ。「おたくの子がうちの子をいじめたそうです」■その他にもその時々のノリ(陳腐だが、そうとしか言いようがない)で誰かに対してとんでもないことをしてしまった記憶はいくつかある。それが暴力にあたり、被害を受けた人にとっては思い出したくもない心の傷になってしまうという想像力はその時点でほとんど無かったと言える。力がない、むしろひ弱であるという自覚さえ持っていた者が時と場合によっては暴力を振るう側にまわることもある。そんな風に感じたのはずいぶん後になってからのことだ。■大学→体育会系運動部→合コン、ここまでの流れならまだよくある話だ。しかし、その飲み会のあとで、血気盛んな男たちはひとりの女性に対し乱暴をはたらいてしまう。婦女暴行罪、執行猶予はついたが大学は辞めさせられ、予想もしなかった人生が始まる。若気の至り、ただのノリ、相手も嫌でない様子、いくらそんなこと言ったって、力を振るったのは当然彼らの方だ。■そんな加害者の人生と被害者の人生がある日一瞬交錯する。その日から彼は彼女に何を伝え、償おうとするのか。罰を受けた者(加害者)も、罪を受けた者(被害者)もどちらも幸福になれないことがわかっていたら、その男を一生許さないために一緒に暮らし始めるという女の決断は虚構を超えた現実でもありえる話だろうか。■作家はおそらくテレビのニュースや新聞の三面記事から様々な発想をするんだと思う。この作品でもどこかで聞いたことのあるような複数の話を元にして作家が妄想したストーリーが見てとれる。ただその次々と細部が露わになっていくような語り方、描き方はたとえそれが救いのない話であろうとも吉田修一の魅力であるとわたしは感じる。今回も結局ノンストップで読んでしまった。■「さよなら渓谷」はどうやって発音すればいいのだろうか。文字通り、「さよなら、渓谷での暮らし」という意味でいいのか。それとも「さよなら渓谷」という名の架空の地名として描いてみたのか。(「おはよう広場」とか「おやすみ海岸」とかさ) もしも後者ならば夏期休暇でもとって,その場所を訪れてみたいところだが、カバーの写真にはモザイクがかかっており、地域を特定することは困難だ。