The 14th Report from France Spain Portugal
The14th final Report(4th(Fri)-7th(Mon)Nov.) from France,Spain,Portugal. I reached to Gibraltar finally ,I could not enter to the gate of Gibraltar without crying in collapses. I finished my trip (over 3500km for 3 mounths) at 5th Nov.Now I am CDG aerport to Narita.Japan.I must say thanks to every persons,one of them as follow.name:meet-spot ,(nationality)Catherine:Auffargis,Rambouillet,Pais(F),Michel & Françoise :St.Briuex,Pouezec or Plouha(F),François and Blanche:Arsac-Bordeaux(F),Bénesse:Capbreton(F),Guillemind,Tato,Fabian:San Sebastian (Ar),Marc(マーク;speed walker):Zumaia--La Isla (F),Mark,Roland:Elexalde-Arratzu(Hr),Syds,Irma,Denzel,Eleonore,Lee Minww:Bilbao(Hr,Ch),Annick,Martin:Portugalete(F),Shimmy,Eva:Santoña(Is),Christine Winter,Eleonal,Joan:Güemes(F,D),Giacomo(ジャコモ;speedy walker),Javier,Anna,Golico:Llanes(I,S,D,D),Igor Alberto Gomes:Rebadesella(Br),Jacque:Villaviciosa(F),Juan ,Pepin,Jose:Gijon(I),Georg:Aviles(Pa),Dariusz(8000km walker from Porland ):Luarca(Pr),Ogawa,Gloria:Ribadeo(J,Sp),Karmen(カルメン;artist ) :Maariz(Sp),Annemarie(Shikoku-Junrei at end of March 2017):Vilalba(Sw),Golling Sedges,Poco Ruana:Pontedeame(F),Mario Pozzati(Egyptlogy visiting Professer ),Tipolo,Fernand,Lola.Emilio,Eidi,Simina Toni,Arriva:Betanzos(I),Fred Gaudet,Oliver:Santiago de Compostela(USA),Oscar Rivera:O Pino(Co),Annika Pfeiffer,Robert Sturgess:Santa Eulálla de Mós(D),Steliyan Vasilev:Vilarinho(Bg),M.Ozaki:São João Madeira(J),Cal:Fátima(F),K.Watanabe :Sevilla (J),Antonio Leon( helpfully in forest ):Huelva(Sp),Maria Rosa,Jose and their friends (artist ):Cádiz(Sp),Victor Quitanilla:La Línea de la Concepcion(Sp) And all Hospitalero.All stuf of Hotel,Hostel,Hostal,Arbergur,super-mercado's staff,polices,Bar's counter,And all Japanese friends.Thanks lots for my encouragement ,you will be my forever friends.From here I will up my drowned skechs to my Blog,"http://plaza.rakuten.co.jp/turbo717 ",or you can search by "turbo717".4th(Fri) Nov.Vejer de la Frontera +9km--Tahivilla-- Casas de Porro--La Costa--Tarifa(タリファ)カディスからジブラルタルまでの途中のVejer(べヘール) の町は丘の天辺に位置する。展望台から遥か下を国道が走る。その国道まで急斜面の遊歩道を転がるようにして下りた後、深夜の国道を9kmまでは歩いたが限界。国道のすぐ脇という恥ずかしい状態でのテント。まぁ完全なビバークである。ところが夜半から小雨が降り続く。国道の交通量を計って見ると3時台が最も少ない。殆どゼロだ、4時台でぽつぽつ、5時台からカディスやセビーリャに向けて北上する車が増え出す。車のライトを受ける時はテント内が明るくなるのでよいのであるがそれ以外は漆黒。弱めのヘッドライトで作業をする。4時起床。まずは嵩張っている寝袋を仕舞う。この旅では最後のテントとなった。諸物に感謝である。昨日はテントを張るギリギリまで歩いていたので歩行用の行動服を全部着替えてテント内に干してある。テントの梁が内側なので天幕と梁の隙間に衣服の端を挟み干すことができる。高さ90cmと上の方はかなりの余裕。万艦飾とまではいかないが身体の前後に吊るされている。これで車のライトが和らげられぐっすりと寝ることができた。テントの下を長い草たちが何千本も身を屈めてくれているのでフカフカ。最高の下地となった。そこを4時半起床。朝御飯はツナ缶詰(こちらではAtunと「A」を付けなければ通じない。)、サラミ、トマトの薄切り、白い葡萄、バナナなどを水と共に喉に含んでいく。食事に相当な時間を要するため早めの開始が望ましい。それが済むと戦闘態勢に移行。服を着替えザックに全ての物を詰め込んでいく。ザックカバーと雨具、反射板付きの蛍光上っ張りというスタイルで出発の準備。6:01 テント撤収(テントからマットを除き全てのものを外に出す。2本のポールは中央でジョイントされている最新型。入口にあるポール受けからポールを外す。テントはぺしゃんこになっても人間がまだテントの中にいる。ポールを折り畳んでいくのはテントの中でも出来る。サックに仕舞うところまで済んだら次に靴を履く。マットのクッションを利用して膝まずけるので最高。マットを外に出しテントを畳む。ベンチレータ用の支えの部分がテントを巻く時に平行になるように調整し縦方向に4つ折りし巻いていく。この時下地の草や土を巻き込まないようにマットの上で作業を行う。慣れれば10分で終わる。) 6:20 出発。今日は元々の長丁場に加え昨日の未達成分3kmを加えて凡そ40km。最後の最後で一番の長距離となった。4.2km(4000カウント)の単位で、長丁場を括っていく。1. 7:02 count 4000 小雨 国道N-340は120度の方向。山を回り込む最後の北向のカーブ。--7:08 2. 7:54 count 4000 小雨 風力発電基地(ジブラルタル海峡に吹く風を受けているのだという)一列何十台もが何列にも並ぶ。道は120度。--8:063. 8:50 count 4500 雲 Tahivilla(タイビリャ)の町。教会あり。町は右側の丘の上に展開、国道筋には気のきいた店は何も無い。赤いものがあるとBarの椅子ではないかと期待が膨らむが裏切られることもしばしば。少々休憩。無風状態であるがゆっくりと風力発電の羽が回る。景色は牧草地。前方左右に低い山々が連なる。154度。Policeの車通過 、もうお咎(とが)めはない。--9:004. 9:41 count 4000 中規模の山裾半分に白い家屋群。日本によくある石灰が露出した山裾に映った。Facinasの幻想的な町。暑いので雨具を脱ぐ。食事休憩。太陽128度。道123度。この国道脇の溝。食べこぼしたパン屑を蟻達がせっせと運んでいる情景に気が付いた。蟻の気持ちになって見てみよう。「わぁ。パンが一杯落ちている。一つ戴いていくとするか。大きい奴がいいなぁ。石ころだらけで歩きにくいが頑張ろう。深い穴に一本棒が横たわっている。落とさないように慎重に。先まで行ったが断崖絶壁。天井にどうしたらとどくだろう。後ろ足4本をぐるぐる回転させてみよう。もうアクロバットだ。だめだ。持ち方を変えてみよう。やや端が天井にひかかった。パンを利用して180度、回転の大業だ。よいしょやっと難所を切り抜けた。やや。漁夫の利を狙ったずるい蟻。引っ張りこだ。協力してくてないのか。こっちも負けずにたたかわないと!」そんな蟻達が口々にパンや菓子屑を大事そうにせっせと運ぶ。面白い光景だ。--10:47 5. 11:32 count 4500 11:17にアフリカ大陸が見える。2,300mの高さの山が目の前に。道は200度。太陽は156度。薄曇りながらまた暑くなってきた。今までの登りをこれから一気に解消していく。緩い南東方向への下りカーブ。--11:396. 12:20 count 4000。道は190度。太陽190度。南の方向は確かにアフリカ。12:237. 12:30 25kmにして初めてBar -Restaurante "Rioja"あり。512歩で中断し反対車線のBarへ。ここで今日はじめて顔を洗う。髭ずらが気になるが大量の水での洗顔は贅沢にすら感じる。水の補給とバッテリーへのチャージ。カウンターのガラスケースにあったアラカルトを注文。1.ensalada ruza 2.pipiranade langostinos 3.ensalada de melva de tarifa con pimientos asadosiの3皿とペプシx2 もう立派な昼食だ。パンはカステラ風のカットで、茶色。この辺りのBarでは乾パンのような小さな個片が10個ほど付く。9ユーロ。Tarifa まで直線11km。頑張れそうだ。4kmカウントをあと3回すれば到達できる。--14:0714:37 count 4000 道129度。太陽 207度。8.15:20 count 4000。道114度。太陽 218度。緩い右カーブでTarifa の町に入っていく。右手に海やキャンプ場、左は牧草地と風力発電。--15:269. 16:11 4000 。2km手前から既にTarifa。なんとピタリとHotelに到着。count4000は最近では4.2km相当。かなり早く飛ばしたことになる。Hotelで寝袋とテントに風を通すべく広げておく。3日ぶりの洗濯。大スーパー「Sol」で果物、パン、缶詰などを購入。ここでザクロをまた買った。兎に角今身体はビールと何か腹ごなしを求めている。Hotelに隣接するBar El Torreónで一息つく。この後は港を見学し、旧市街の郷土料理店 Morillaへ繰り出そう。スケッチは今日は夜の景色。パエーリア(Arroz con vardura 2人からが基本であるが野菜パエリアは一人から準備出来るという。)、ビール(Tanque Cervesa)、ジュースなど。18ユーロ。Hospedaje Villanuevaイベリア半島最南端の町タリファ。モロッコへの1日観光が40ユーロ。ドックに入る商船に関税を掛けたらことからtarrifの語源になった町としても知られる。アフリカ、或いは海峡を渡る風を利用した何千もの風力発電は一見の価値。旧市街は城壁に囲まれ入場はトンネルのような場所でアーチをくぐる。Whale Watchingの基地として、サーファーの基地として、色んなレジャーが展開される町である、宿のご主人、可愛い女の4人姉妹(11,10,5,3歳)と美しい奥さんがいた。5th(Sat) Nov.Tarifa --El Bujeo--Peleyo--Algeciras(アルヘシラス)-- La Lí nea de la Concepción)(ラ・リネア・デ・ラ・コンセプション略してラ・リネア)--Gibraltar--La Línea5:00前に起床。テントと寝袋を仕舞う。食事は"ザクロ"。ひとつ分を食す、種を出す。と書いたが熟したものは種もそのまま食べる。スプーンと言ったが手で房を裏返すようにして粒を出していくと良さそうだ。ハムは買ったときは厚みがあると思ったが騙された。一枚一枚が恐ろしく薄い。上手に1枚を剥がしてパンに挟む。ジュースはマルチジュースの1L。オレンジ100%のは2-3ユーロもするが非常に美味しい。マルチは安い分水代わりといった感じであまり美味しくない。今日も国道を行くので昨日同様4000カウントを一括りにして歩行。7:08出発。1. 7:44 2500 雨具とヘッドライトを外す。道 46度。右カーブに差し掛かる。振り向くと222度の方向にアフリカの最西端北が眺望できる、Tarifa から南21kmしか離れていない。1. 8:01 日の出 3062 8:12 count 4000 道 38度。--8:132. 8:59 count 4000 道 107度、太陽 129度。完全な山岳コース。道は登り続けている。小休憩。----9:083. 9:46 3532 72度の方向にGibraltar の岩山(ザ・ロック)を眺望。苦節3ケ月。ついにジブラルタル!9:53 count 4000 。道 53度、太陽 143度。 Algeciras nまで8km。町が見えはじめている。湾の向こうにジブラルタルの山々とつきだした岬が眺望される。下り坂に掛かっている。もう上りはないであろう。---10:014. 247 10:07 食事休憩。8km先が町だとするとリュックの食料もゼロベースにしてもよいかも知れない。ハムや夏ミカンなどは食べつくそう。--11:2312:01 count 4000 。道74度、太陽 167度、いまだ坂の途中。周囲はユーカリの植列で見通しが利かない。--12:08 5.ロータリ手前からAlgeciras(アルヘシラス)の市内に入るため細心の注意。12:42 count 2000で丁度28_01_007 b point のpoint 。ここで国道から外れて、市内に入る。蛍光色の上っ張りを脱ぐ。Bar-Restaurante Los Pastoresでコーラ休憩+充電+水補給。ここから4.3kmでMy Map は終わっている。Algecirasを最終ゴールと決めてあったためだ。ところがスペインにはもっとジブラルタル寄りに国境の町 La Lí nea de la Concepciónが有ることを知ったのはセビーリャのバスターミナルである。セビーリャまでのバスは La Lí neaが始発になっていたからだ。ジブラルタルに行くためには La Lí neaから徒歩で向かう。Barの位置からLa Lí nea de la Concepciónまで行く方法を模索。10km以内であれば歩く。しかしMaps .Me による検索は恐ろしく時間が掛かっている。長大なルートを計算しているのであろう。ここは諦めBarの人に La Lí nea de la Concepciónまでいくバスに乗るには?(Dónde puedo coger el autobus a la Líne de la Concepción? )と聞いてみた。Autobus COMESへ行けと。Hotel Octavioにあると。重要な情報がgetできた。Algeciras 駅の近くにある、それこそ最短コースを検索すると途中までMy Mapの設定コースのままである。15:20出発。北向の進路。市内中心街を通り抜けていく。Maragaに行く方向。My Mapによるアクセス。16:16 Gibraltar 入国!16:30発のCity Center行きのバスに乗る。ともかく中央部へ、飛行場を横断していく。英語の通じる国に入った。4分で北駅。10分で中央駅。山の高さは426m、南北5km、東西1.5kmの要塞がジブラルタル。La Lí nea de la Concepciónへ戻る。ホテルの予約を昨日している。 C型コンセントが使えない国のため戻ったほうが正解であった。19:40 ホテル到着。外は雨。6th(Sun) Nov.La Lí nea de la Concepción)(ラ・リネア)--Algeciras --Jerez --Sevilla 5:00起床。日記を読み返す。メモ帳に毎日書いた記述。思い出して書き加えた部分もあるが大半はreal timeで1秒先が闇という状況下である。読み返して見るとまぁ実に細々と書いたものだと本人も呆れている。■シャワーLa Línea de la Concepción)(ラ・リネア)のHotel Miramar(ホテル・ミラマール)のシャワー、最初の4分が水だ。あまりの遅さに時間を計ってみた。これでは熱湯の配水管が100mくらい先ではないかと思うほどである。「歩き」の場合は最初の水の部分が重要で所謂「icing アイシング」に使えるのだ。どこでもそうであるがシャワーのノズルを足元から膝の部分を冷やす。徐々に温度が上がっていくので身体の上部に当てていく。心臓は最後である。22度以上であれば心臓も大丈夫であるが最初から全身に水を浴びる勇気はない。日本のように浴槽に張られたお湯が最初から準備されている場合は別である。そいう例は皆無。シャワー10分で浴槽のお湯の量に匹敵するという。なんという無駄であろうか。シャワーは効率が悪いのである。このホテル、暖まるまでに浴槽分の水を消費したことになる。5分間もアイシングしていると身体が冷えきってしまうのだ。目一杯赤いマークに合わせているのだが時々あるように逆の場合かなぁと青いマークに合わせたりするものだからますます水が暖まってこない。ぜひ改善してもらいたいものだ。今日は半日このホテルで寛ごう。"歩き"用途に使った「戦闘服」はもう着ることはない。昨日最後の洗濯をしタオルでプレスしてあるのでほどなく乾くであろう。青空の下、ビーチを散策。にちようびであるからだろうか。閑散としている。砂浜でジブラルタルの岩山とアフリカ大陸の山々をスケッチ。色んなアスレチックの道具が並んでいた、マラソンついでに腹筋を鍛える男性、カップルで体操をしながらヨガのような逆立ちの姿勢、スケートボード用フィールドで競う男達、ここはジブラルタルを望む楽天エリア。秋寒むの晴れた一日を皆が外に出て楽しんでいる。スペインでは兎に角"外"が重要。自分を晒し、議論をふっ掛け、自己主張し、フェンスkに囲まれた安全地帯とその外の往き来こそが人生。よそ者をとことん観察する姿勢は見事である。よって怯んではいけない、笑顔で挨拶すれば同調間違いなし。スペインとはそいうお国柄である。スペイン語はマスターしたい。燃え尽き症候群にならないように次の目標を立てろと息子からメール。Maraga、Granadaなど今回パスした多くの町々をペラペラのスペイン語で闊歩したいものだ。スケッチしたりゆっくりしている間にまた小腹が空いてきた。パキスタン人が店を構えるケバブの店。チキンカレーがあったのでオーダー。ふと時計を見ると13:00に近い。ホテルのチェックアウトの時間を1時間もオーバーしている。荷物など広げたままだ。走りに走りホテルに謝りながら自室へ。杖はクロスしてリュックに仕舞えている。戦闘服などをてきぱきと取り入れスタッフザックに入れていく。部屋を3回転し"ワン"と。忘れ物が無いことを最終チェック。13:05ホテルを飛び出しそのままケバブの店に。熱々のカレー。辛さを抑えて貰ったので舌への影響を最小限に出来た。Sevilla 行きのバスは15:00。まだ1時間ほど余裕。スケッチ2枚。彫刻家が声を掛けてきた。有名な方らしい。多くの友人から日本に行けと言われていると。典型的スペイン手法との融合を期待されているのかも知れない。Sevilla 行きのバスは定刻の15:00出発。以外と乗客が少ない。La Línea からは2人、Algeciras から10人。モロッコから到着したばかりの人のようだ、アフリカの香りと肌色。スカーフが似合う。15:37 出発。15:41 昨日利用したBar を通過。Tarifa へ小生が歩いた道を辿っていく、全て覚えている景色を逆走。今日は激しく風力発電の羽が回っている。バスからはもっとはっきりアフリカが見渡される。南側の風車は鉄塔に羽が付いている。古いタイプであろうか。北側のは電柱タイプで新しい。牛が喰む牧草地は鞣し革のような色と質感。1600 Tarifa 到着。5人が乗り込む、苦労して歩いた距離はバスだと19分! 16:02出発。この状況ではSevilla まで殆んど小生の歩いた町々を線で結んでいくのでは。16:22 Thivilla 0人、16:39 Vejer の町の崖下の町-La Bahara de Vejer のバス停10人、トイレ休憩。バスの外に出て新鮮な空気を吸う。17:03 Conil (コニール)4人、17:05 出発。17:26 Chiclana de la Frotera(チクラナ・デ・ラ・フロンティア) 3人、カディスをパスするだけで殆んど小生のコースである!違う道は無いのかと言いたい。17:43 Puerto Real (11/2に通る予定であった都市。) 1人、降りる。この後は高速を飛ばしてSevilla へ。18:36 Sevilla まで26km。高速の所だけ思いきり木を植えた感じ。中央分離帯も10mの巾で木が植わっている。要するに下界からは無粋な建造物である高速が見えないようなシステム。音はすれど姿見えず これがスペインの施策でこれ見よがしの日本の高速との違いであろう。バスで4時間の距離を10日かけて歩いたことになろう。なんと贅沢に時間を使わせて貰ったものだ。camino 道を"世界で一番贅沢な散歩道"と呼んだ人がいた。まさにその通りだろう。足の持つ限り歩きたいものだ。19:05 バスターミナル到着19:23 10日前に3泊も泊まったHostel Grand Luxe Hostel へは18分。102号室も同じ。6Bedsに2人。豪勢だ、シャワーを浴びるも今日は洗濯無し、明朝は4時出発としている。飛行機が6:30発のParis行きだからtaxiを呼んである。屋上に上がり大聖堂の夜景を観賞。これほど凄い夜景はない。見事な景観である。鐘塔のライトアップは力強い。教会の十字の建物は僅かにくすんでいる。それでも丸い塔が美しくハイライトで輝く。回廊の上に設けられたライトは白く真珠のように煌めく。こんな夜景をホステルの屋上から独り占め。この光景は手前にある古い建物が黒くシルエットを作り夜の黒とはまた別の黒がお互いに共鳴し大聖堂をもり立てている。ピコスという乾パンを肴に1ユーロのビールを飲んで更に観賞。この時間はスマホの充電を行うのに使っている。外でビールをがぶ飲みする分を一杯余分に飲んでおく。さて最後のセビーリャの夜である。スケッチしたかった近くの通りに繰り出す。絵を2枚ほど仕上げた。レストランLa Subastaがある通りはレストランがカーブをなして連なり独特の雰囲気。ゴッホの「黄色の夜景(?)」のように寂しくはない。天幕に取り付けられた電熱器の赤い灯りを受け客達が色ずく。通りをそぞろ歩きをする多くの人をスケッチに入れて此方は賑やかに。すぐそばのレストランRoblesの天幕からご婦人が歩いてきた。絵を見せてくれと言う。色付けする前と後の2回、足を運んでくれた。今回の旅では時間の関係で夜景を描くことも多く新しい出合いがある。そのレストランでアンダルシア名物のPaellaを戴く。ビールのお代わりはなしで安くついた。作戦は成功。さて日本では老人達は冬の寒い風呂場でよく亡くなる。タイルの冷たさと風呂のお湯との温度差が原因。このレストランの天幕に取り付けられた電熱器(ブランドは"Heliosa")のようなものがあれば暖かくて良いのではなかろうか。我が家でも欲しいくらいだ。蛍光灯のような形をしており反射板がついているので暖かい。乾パンがここでも出てきたので名前を聞いてみた。Picos(Horno camperos)というのだと。7th(Mon) Nov.Sevilla --Paris --Auffargis(オーファルジ) 今日は大変重要な日。ノートルダムで巡礼手帳に印を貰うのだ。3:30 起床。Hostel(Grand Lux Hostel)の102号室。"町スタイルの服装"は全てシャワー室の前に吊るしてある。同室の人が起きないように別室で装着。靴を履いたり忘れ物チェックにはヘッドランプで確認。3:45フロントへ。3:50 呼んでくれていたTaxiが到着。18kmの距離があるたやむなくTaxiを利用したのだが高くついた。29.8ユーロ。空港に4:05到着。4:30に空港がopenする。VuelingのLCCであるが3社のシェア便となっている。手荷物は1個までというのを持ち込み1個と勘違い。リュックを預けるべきであった。リュックが大きいので手荷物チェック機械の穴にすんなり通らず引き出さなければならなかった。しかも中には太陽パネルが入っていたため別室で開けてチェックをさせられた。誰が言ったのだろう。"機内持ち込みしなければ追加料金を取られる"と。誰も一銭も払っていない。到着後荷物クレームを通らずすぐ外に出れるというメリットがあるが。手ぶらで搭乗ゲートに進めるというメリットは大きい。リュックが座席の上のボックスに入るのか心配であったがこれはok。7:05 マドリッド上空を通過。黒の生地にオレンジの数珠で刺繍したように美しい町並み。所々にある黒い部分は森か公園。桜模様の縁取りは高速道路。マドリード郊外の町は雪の結晶のような形で薄いオレンジ色で漆黒の中に点在する。朝焼けの茜が差してきた。機はこれからSan Sebastian に向かいBordeaux 上空へ。なんと今回の旅のspot を辿る道のりである。キャサリーヌが今度はRambouillet (ランブイエ)でなくパリで待っていてくれている。初っぱな失敗した(*;下記)ノートルダムのスタンプを貰うためにリュックを自家用車に納めてくれることになっている。巡礼のスタート地点はノートルダムに近いサンジャック塔。そこで会おうということになっているのだ。7:32 下界は雲ってきたが日の出が近い。真っ赤な幾つもの線が雲の上端に現れだした。その中央が膨れ出した。閃光が出始めたが飛行機は動く。雲の輪郭を追うように太い赤が移動していく。太陽の上昇は速い。ついに真っ赤な太陽がばぁーと顔を出した。時刻は7:36。(*)正直な話間違えば8/10 パリのパリは厳戒体制が敷かれ全交通機関が止まったかもしれないのだ。志摩サミットの当日渋谷のコインロッカーの前に置かれた一つのバッグもしかり、バルセロナの全地下鉄をstopさせた一つの鞄、それと同じ状況であったからだ。すなわち大きなリュックを背負った男、ノートルダムに入場するためには厳格な荷物検査があるため最少の手荷物だけにしなけれならない、入場を待つ列は長蛇。重い荷物をどうするか。周囲に聞こうとしたがその時点ではPoliceはいなかった。ドイツでリュックを盗まれている男はやにわに東新宿で仕入れた超強力チェーンを取りだしノートルダムの黒い柵にがんじがらめにして鍵まで掛けて列の最後尾に並んだのだ。さて10分がたち男は列の前のイタリア人家族に了承を取って荷物が大丈夫であるか見に行った。何事もなし。そいうことを2、3回繰り返していたのだ。30分ほどが経過した。突然列が進まなくなってしまった。何か様子がおかしい。Police の車が集まり出し列は封鎖されている。どうもリュックの回りが慌ただしい。「それ僕のです。この通り鍵を持っています。はずしてみましょう!衣服とスケッチブック、ソーラパネルしか入っていません。」Police達は本部に連絡。あのアホな巡礼が----。大いに注意をされたことは言うまでもない。。持ち物に人が付いていないものは全て不審物になり爆弾処理の対象になるのだと。このParisではあり得ない状況であったと。コインロッカーかホテルに預けないかぎりノートルダムの入場はあり得ないと。まったく浅はかであった。ドイツで「盗まれた」一件も爆弾処理班が処理したか誰かが警察に持っていったのかも知れない。横の連絡が悪く情報が伝わらず翌日になっても出てこなかったという事由ではなかったか。要するに不審物となるような"チェーン処理"はあり得ない時節なのだ。スペイン北の道の最後のほうの町Vilalba の郵便局から日本に送り返す第一番目の荷物になったことは言うまでもない。このあと直ぐにRambouillet に向かう列車が出るモンパルナス駅に走ったが巨大過ぎる駅は地下鉄を含め多層階をなす。コインロッカーさえも荷物検査があるという物々しさ。ロッカーのKey操作も難解。という訳でついにノートルダムには戻れずに旅を始めてしまっている。スーパー等ではリュックは見ててもらうか、預かってもらうか、小さければロッカーが利用できる。いかなる場合でも"不審物"ではないという主張が必要。スーパーでは加えて別な解釈。袋ものの持ち込みは厳禁。商品を入れても分からずに出てこられるからだ。スケッチブックのサックすらも店員に預かってもらうのだ。そいう心遣いがヨーロッパでは必要である。長々とした説明を後人殿が参考にして戴ければ幸いである。8:55 パリ・CDG空港に到着 9:26 RERでパリ市内に。さてParisは小雨。気温5度、南国から真冬の国へ!RERは、Parisへの直行便で10ユーロ。Garu du Nord 、Châtelet-Les Halles、Saint-Michel-Notre-Dame、---。等に止まる。 St Jacques towerで待ち合わせなので試しに Saint-Michel-Notre Dameで降りてみた。5番出口がNotre Dame に近いという。地上に出てみるとセーヌ川の南側。Dameとtowerの2つが実に近く迫ってくる。空港よりも寒く気温は3℃ほど、みぞれ混じりの重い雨が降っている。パリはすっかり晩秋の雰囲気。雨の空と紅葉と街並みがしっくりと融け合っている。スケッチしてみたくてうずうずする。ここでは全てが絵になるのだ。10:25 フロックコートや厚手のオーバーを着た人々が足早に通り過ぎる。セーヌを渡り St Jacques towerの方向に進む。南西角にあるBar 「IN」で暖を取る。朝食はSevilla でも食したが、ここでもプティ・デジョネ・クラシックを注文。出てきたパンはこの世のものと思えないほどの美味しさ。すぐボロボロになってしまった かの国のパンと全く違う。10:55 もうそろそろかなと電話するとキャサリーヌも近くのBarに居ることがわかった。外に出てみると手を降っている。という訳で3ケ月振りの再会。彼女はこの間北の道を完歩している。お互いに労をねぎらいつつ談笑。リュックを地下駐車場に止めた車に仕舞う。その足でノートルダムまで印をもらいに行く。月曜日は休みの筈であるがちゃんとopenしていた。特別な週間であったのかもしれない。よしんば締まっていてもスタンプなら事務所で貰えることは3ケ前から確認ずみ。孫たちへの土産物は郊外型の大型Shopがパリ市内よりも安かろうと、途中にBoulogne(ブーローニュー)の森の中にあるFondation Louis vuitton(ルイ・ヴィトン財団館)で開催中の「Icônes de L'art Modern (近代美術へのアイコン))"La collection Chtchoukine(チチョウキン・コレクション)"に立ち寄る。Chtchoukine はロシアの富豪であるがパリでまだ其ほど名前が売れて居なかった時代のピカソの絵など多数を購入しロシアに持ち帰ったのであるが、死後全コレクションが国に移管されモスクワやペテルスブルグの美術館に分散されている、その絵画群が一気公開だという。2年前に完成した超モダンな財団館で展示が始まったのだと。雨で寒いので余り並ばなくても良いのではないだろうかということで足を運ん次第。Netで時間を予約した人の列とそうではない人の2列。50分待ちというが30分ほどで入れた。地下を含めて5層の建物にゴーギャン、ピカソなど多数の作品が展示されていた。美術全集でも見たことがない作品群に驚愕。昨年はゴッホの墓へ、今年は展覧会へと、似たような展開である。一例を挙げると、Paul Gauguin(ゴーギャン)--Self Potrait.Tahitians in a Room.Aha oé feii(What .ar you jealous?),Sunflowers,Man picked fruit from tree,Ruperupe(Tahiti is a wonderful land),Landscape,Women on the seashore,Scene from Tahitian life,Vairaumati,The ford--など多数。以下同じ。Paul Cézanne(セザンヌ)--Self PortraitJames Paterson(パターソン)--The Enchanted CastleSir Frank William Brangwyn--MarketCamille Pissarro(ピサロ)--Place du Theatre-Français.SpringClaude Monet(モネ)--Seagulis,River Thames in London,Steep Cliffs near Dieppe,Cliffs at Etrwtat,Vetheuil,Meadows at Giverny,Lilac in the Sun,Luncheon on the GrassAlfred Sisley--Village on the SeineHenri Matisse(マティス)--Luxembourg Gardens,Bois de BoulogeHenri Rousseau(ルソー)--In a Trpica Frest.Paul Cézannr(セザンヌ) --Mont Sainte-Victoire seen from Les Lauves,The AqueductAuguste Renoir(ルノワール)--Woman in BlackなPicasso(ピカソ)Auffargis(オーファルジ)へ。シャンパンで乾杯。8th(Tue)Nov.Auffargis(オーファルジ)--Saint-Rémy Iès-Chevreuse--Paris・CDG(Aeroflot Rusian Airlines 11:50)--Narita(9th(Wed)11:40)4:30起床。衣服は全て洗濯し乾燥は完了している。パッキングしたり装着したりと。昨日は2つのBig-Shopを訪れている。孫たちの土産を物色するためだ。面白いのは女の子のコーナ。まぁ驚くなかれ。人形だらけ。風景が一転する華やかさである。キッチン道具のコーナーや食器類のコーナーもあり"フランス人の女の子"になるための要素が全部詰まっていた。まぁ日本と似ている一面も。木のおもちゃはスウェーデン製とか。車が外につくようなF1車はひとつもない。高学年用の"おもちゃ"はもう領域を外れるのかも知れない。物色もなかなか面白い。camino 仲間からfacebook で忠告があった。最後まで気を付けてと。忘れ物、盗難、怪我、---。弛緩はゆるされないのだ。心して掛からねば。6:30 出発、近くのRERの終点駅からCDGのターミナル2(終点)へ直行。チェックイン。WiFi環境があれば通信を試みる。杖は縮めてたすき掛けとしリュックに納めた。マットは何時もと違って側面に固く結わえつけてある。土産類は食料のように上に積みAllinoneとした。ショルダーバッグのみの軽装で機内に入る予定である。■追記町の道路によく見られた膨らみは、仏語では「casse-vitesse」(速度抑止ブロック)という、スペインでは3M製のゴムのブロックを幾つか並べたものが多かった。何回その上を歩いたことだろう。■ファーブの香りがする草花Fenouil(フヌイ)--丈は1m--2m。先に黄色い小さな花をつける。camino 道や車道に沿って沢山見掛けた。塵が散らばった汚い道でもこの雑草は育つ。芳香に幾度 救われたことだろう。■痛い草イッチと悲鳴をあげるのがこの草。Ortiga(オルティガ)という。可愛い白い花を房状につける。葉にはギザギザがあり、茎の部分に小さなトゲがある。背丈は30-40cm。皮膚に直接触れると飛び上がるほど痛い。細かなトゲが突き刺さるからだ。目にはみえない。スペイン中北部のあらゆる所に生えるため草地に入る場合は注意が必要。ただこの草。料理に使ったり肥料になったりと優良植物ということである。■オリーブの実黒く熟したオリーブの実、ピクルスやオリーブオイルのもとにになるこの実。かじってみた。飛び上がるほどの不味さ、辛さ、酸っぱさ、あらゆるマイナスの要素があった。これがあのピクルスになるのかと。実にびっくり。########完########旅のconclusion第1段・・・2015.5.10-8.9 ポーランド--パリ第2段・・・2016.8.10-11.9 パリ--ジブラルタル年が相違するが月日は継続する。シェンゲン条約(どの6ケ月をとっても滞在総日数が3ケ月を越えてはならない。)のため2期に分けてたのだ。######################拙い文章を長々と読んでいただき有り難うございました。数々のトラブルに見舞われながらもほぼ最初の計画通りParisからGibraltar まで旅を続けることができました。ひとえに皆様の激励の賜物であります。無謀な旅を2年に亘ってやらせてもらったカミさんと家族に感謝します。オフラインマップのMaps.Meには随分助けられました。Google Mapや、Open Street Mapを基にして作ったMy Mapに、Google Earthによる計測結果を書き込んだ地図は1000枚を越えますがこれを旅の「指示書」として活用できました。そいう意味で"放浪の旅"ではなく"計画通り"の旅を"ストイック"に実行しましたが、パソコンによる作業でしたので計画変更への対応に問題を残しています。これらについては今後の課題とします。描き貯めたスケッチブックは2册で凡そ200枚。日程の地図と一緒にupしていきます。