「ごちそうさま」
( 岩崎俊一氏の「大人の迷子たち」)最後の言葉は「さようなら」ではなく「ごちそうさま」だった。A君は29歳。広告業界の小さな製作会社に身を置いている。すでに結婚し、3歳前の娘がいる。そのA君一家のもとに、ある日郷里から父親が訪ねてきた。彼の話は、その父親が帰るところから始まる。「父が帰っていきました。電車が見えなくなると、僕の胸には、心なしか小さくなった父の背中と、父が最後に言った『ごちそうさま』という一言が残りました。その時僕は、母を失った父の哀しみと、この突然の父の上京が意味するものに、あらためて思い至ったのです。僕たちの狭い2DKに、父が作った米や野菜をつめこんだ二つのダンボール箱が届いたのは、3日前でした。その箱の中に、父が、地元の農協が主催する旅行に参加すること、そしてそのついでに一泊させてもらいたいがいいか、と書いた手紙が入っていました。僕らに異存はありませんが、いままでめったに旅行などしたことのない父の申し出に、僕はいささか面喰らいました。父の身の上に何かあったのかと訝ったほどです。土曜日の昼過ぎ、父はやって来ました。初めこそぎこちなかったものの、近所を娘と散歩したり、夕暮れ、僕とビールを飲み始めたりするうちに次第に打ち解け、いつもの無口が嘘のようによくしゃべりました。夕食はカレーライスでした。父のリクエストなのです。めったにないことなので、僕は奮発してすき焼きにしようと言ったのですが、父は珍しく聞きませんでした。そう言えば、父は母が作るカレーが好きでした。しかし、自分の希望を強く言うのもいつもと違ったし、食べたあと妻に『おいしかった。ありがとう』と言うのも、いままで耳にしたことのない言葉です。僕はその時、ふと思ったのです。父は、その台詞が言いたくて上京したのではないか、と。父の食事は、いつもひとりぼっちでした。言葉を投げても受けとる人がいない食卓。母を亡くして初めて知るその寂寥から逃れるため、父は慣れない列車に乗り、巨大な人波に揉まれ、心細い思いと戦いながらここまで来たのではないか。そして、遂に母に言わなかった『おいしい』という台詞を口にしたのではないか。電車が来ました。すると父は何を思ったか、僕らのほうにまっすぐ向き直り、薄くなった頭がすっかり見えるまで深々とお辞儀をし、少しはにかみながら『ごちそうさま』と言ったのです。最後の言葉が、さよなら、ではなく、ごちそうさま。父にとっては、それほど心に残る夜だったのですね」