「子を頌(たた)う」に想う
年の初めに相応しくないかも知れませんが、呆けの話題からです。 典型的な認知症の症状で、最近のことはきれいさっぱりと忘れますが、何十年も前のことをふっと思い出すことがあります。その一つで、戦時中に聴いた「子を頌(たた)う」という歌が何故か頭に浮かんで来ました。その一番は、 「太郎よお前はよい子供 丈夫で大きく強くなれ お前が大きくなる頃は 日本も大きくなっている お前はわたしを超えて行け」 (1942 作曲 城 左門、作詞 深井史郎)というものです。 歌自身は、その頃の軍国主義に迎合した、子供だましのものですが、今の時代、考えさせられる中味を持っています。 敗戦後、日本国民の弛みない努力によって、日本は、「日本も大きくなっている」という、この歌の文句通りの、国連の分担比率第三位の大国(そして世界一の借金大国)にまで成長しましたが、経済規模に見合うだけの存在感もなく、尊敬もかち得ていません。フランスの詩人ポール・クローデルが言った、「世界でただ一つどうしても生き残って欲しい高貴な民族、日本人」は、何処へ行ってしまったのでしょうか?「お前はわたしを超えて行け」と言っても、子供が超えるべき目標とする大人は、何処にいるのでしょうか? この歌が目指した大きな国は、今の「美しくない国、日本」なのでしょうか?