うつの辛さとがんの辛さ
ずいぶん久々の更新になってしまった。今日はもう何年も前から、私の前の前の職場からずっと診察している、これまたずいぶん遠方から通ってくるうつ(正確には双極2型と言って、うつの症状が目立ち、躁の症状は軽くてあまり大きな問題とならないケース)の患者さんの話。彼女はここ数年、躁もうつも寛解して過ごしていて、家事・育児等日常生活も普通に送ってきた。もうどこから見ても、すっかりいい奥さん、いいお母さんである。素人が見たら、精神科に通院している患者さんということは全く分からないだろうという域に達していた。そんな彼女が、昨年、女性特有の悪性腫瘍を患った。私と同世代の彼女は「先生も検診、行ったほうがいいよ」などと飄飄と話していたが、聞いた私は内心「やっと躁鬱が寛解したのに、なんて因果な...」と思ったし、発病をきっかけに感情障害が悪化しないか心配もした。だが、本当に彼女は、淡々と、そして強く闘病生活を送ってきた。もちろん、精神科疾患が寛解していたからこそ可能だったのだろう。私も身体の治療スケジュールを優先するように話し、精神科受診は可能な限り間隔を空けられるよう最長期間で処方して繋いできた。腫瘍が大きくすぐに手術できないということで、まず何カ月も化学療法で叩いた。髪の毛はほぼすべて抜け落ちたそうで、ある日の診察に突然髪型が変わってやってきた(要は鬘である)。顔もすっかりむくんでしまって、別人のようになってしまった。やっと手術にこぎつけたものの、術後の痛みもまだ残っている中、今度は放射線療法を開始するという。「大変だねえ...。」私が思わずため息交じりに呟くと、彼女は「ううん、先生。全然!」と笑いながら言った。「うつの治療のほうが、うつの悪かった時のほうが、比べ物にならないほど辛かったのよ。うつは目に見えないよ。所詮、がんなんてはっきりしてて、見えるもの。取るしかないじゃない。」...そんなことを言われて、なんだか涙が出そうになっちゃった。辛いと感じる「心そのものが病む」、ということは「身体が病んで辛い」と「健康な機能をもつ心」が感じるよりも辛い。この仕事をしているのに、そういうことってあるのだな、と初めて教えられた。そして、私たちが向き合っている疾患はそういうものなのだと知って、これからも誇りをもって仕事をしていこう、ときれいごとでなく本気で思った。