わたしが離婚をした理由~一応の決着~
弁護士を立てても、なかなか合議には至らなかった。私は自分の出した建築資金全額返却を譲らなかったし、元夫は3年間の居住による価値の下落を主張して譲らなかった。私は家からの退去を、子どもが保育園を出るまで、そこまでが無理でもせめてあと1~2年を主張したが、元夫は明日にでも即刻退去で譲らない。養育費についてはお互いの要求の中間点、大学卒業まで1月1人75000円といったところで、弁護士同士が着地点を探しているようだった。私の弁護士は、現在の固定資産税評価額を新築時の固定資産税評価額で除した割合で、購入資金も目減りしたと考えたとしても、全額に近い回収ができる、そこへ若干の慰謝料を上乗せする形で、トータル全額返済してもらう方向で、攻めよう、と言っていた。幸い、私には味方が多く、様々な情報を提供してくれる人たちがいた。弁護士を立てて半年くらい経った頃、大きな情報が飛び込んできた。...約3ヶ月後、義父が某有名超一流企業の役員を退職する。退職金の額は、半端ではない。おそらく、億単位。このタイミングなら、全額返却を引き出せる。元夫にそんな貯金が無いことは、分かっていた。払うのは、実質的に義父。私には勝算があった。ハウスメーカーに連絡を取り、少しずつ進めていたマイホーム計画を、残り4ヶ月ほどで着工に持っていけるように、本腰を入れてくれと頼んだ。自分の弁護士には、その次の話し合いで、「トータルで全額回収できれば、今年一杯で家を明け渡す」と急に期間を切り上げてもらうよう頼んだ。私はそれまでずるずると、あと2年だの、あと3年だのと言っていたのだ。この機を逃す手は無い。確実にその年一杯で私たちを追い出せるのなら、彼らは払う、と踏んだ。私の読みは当たった。あっさり全額回収に成功したのだ。マイホーム着工まで、あと3週間というところだった。そして、その年をあと10日残して、私たちは忌まわしい思い出のたくさん残る家を出、新居に引っ越したのである。年内完成ギリギリから逆算して、着工日と、義父の退職日と、こちらからの申し入れのタイミングを図り、ほとんど自分の思ったとおりの条件を引き出せたことは、運だけではないと思う。自分の弁護士には成功報酬として、さらに105万円(税込)を支払った。弁護士によれば、相手方も、養育費の減額成功分などから計算して、ほぼ同じくらいを支払ったはずと言う。つまり、元夫がほぼ私の条件をのまされたにもかかわらず、争ったために双方で270万円ほどを、捨てたことになる。それでも、私としては、弁護士に依頼したのは成功だったし、気持ちも楽だったし、自分だけで半年闘うことは、無理だったろうと思う。子どもたちは、3階建てでも、エレベータ付でもないが、引っ越した先の新しい、日当たりのよい家を「こっちのほうがいい!」と気に入ってくれた。荷物も、必要なものは残らず持ち出せた。こうして私の離婚騒動は一段落。間もなく元義父がガン再発。月1度、面会のたびに病院へ連れて行き、子どもたちの記憶に義父を植え付けようとする元夫を、私は複雑な気持ちで見ていた。冬は、感染症が心配なので控えて欲しい、と言っても、VIP個室で専用口から出入りするので心配ないと、元夫は病院に連れて行くのを止めなかった。元夫のために、たった1度、それも1時間足らずしか、子どもたちと会う機会のなかった父を思うと、たまらなかった。その義父も、1年と少し経った頃、亡くなった。義父が亡くなった後、「『馬鹿馬鹿しい、死人のことでしょ』と必ず言い返してやろうと決めていた」と子どもの面会に来た元夫に言ったら、さすがに言葉が無かった。その元夫は、1年後も、そして2年後になる今度も、法事があるので面会日をずらしてくれ、と言ってきた。あれほど、葬式だの、法事だのは許せない、と言ってきた元夫が。夫婦のことは、どちらかが一方的に悪い、ということはないとは思う。そんな男性を選んで結婚してしまったのは、私自身で、それは私の責任で、誰のせいでもない。確かに離婚は大変だったけれど、自分が決めてしまったことのつけを、自分で始末しただけ。...それでも私は、今でも彼を許してはいない。私には秘密にしたまま月1度子どもを迎えに来るが、多分彼は再婚(少なくとも、事実婚)しているはず。やたらに自宅に連れて行きたがった子どもを、今は元義母のいる実家にしか、連れて行かなくなった。そういった自分に都合の悪いことを、彼はいつでも隠して、子どもたちの前で決して怒らないよい父親を演じ、私に対してした仕打ちなどなかったことのように、自分の親に関しては当然のように会わせたり法事を営んだりを怠らない。それを見るたびに、私は過去を思い出さなければならないのだ。