うさぎ島学会(1)
先月、日本精神神経学会学術総会に行ってきた。学会の専門医を維持するためには5年間で規定のポイントを集めることが必要だが、他の関連学会等で得られるポイント数はとても少なく割に合わない。基本的にこの「本会」に参加しないと集まらないようにできているのである。複数の医者が在籍する病院であれば交代で出席するが、開業医は大変なのだった。とにかくその結果年に3日ほど、日本中の精神科医が留守になる時があるのを想像してみてほしい。神無月に出雲の国に日本中の神様が集まるようだ、と例えたことがあるが、精神科医を神様に例えるのは神様に失礼だった。今年の学会は広島だった。せっかく広島まで行くので、12年ぶりにうさぎ島(大久野島)へ寄ってきた。私の中で密かにメインがこっちだったことは、言うまでもない。うさぎ島というくらいだから、野生のうさぎが多数生息している。12年前より数は増えているだろうか。船を降りた桟橋のところから、もうあちこちでフワフワの塊が地面を掘り返し、芝の根っこをハミハミしているのだから、「うさぎ好きの聖地」である。うちのうさぎたちが好き嫌いして食べなかったラビットフードやら、ペットショップの試供品やら、広島市内で買ったキャベツやらをスーツケースとリュックに詰めて持ち込んだ。うさぎへのお土産が多すぎて、今回の学会では人間のお土産を買うことが出来なかった(笑)。大久野島は、「毒ガス島」「地図から消された島」としても有名なところだが、今は島全体が休暇村となっている、施設職員以外の住民がいない無人島である。知らない方のために簡単に説明すると、1929年から太平洋戦争終戦まで、陸軍が密かにイペリット、ルイサイトなどの毒ガスを大量に製造していた場所なのだ。毒ガスの戦争使用はジュネーブ条約で禁じられていたため、軍は毒ガス工場の存在を秘匿していた。そのため、当時の帝国陸軍が発行した日本地図からは、大久野島の周辺だけがすっぽりと白く抜けている。広島へ平和学習に行くのであれば、原爆ドームという被害者としての歴史だけでなく、日本で唯一、戦争の加害者としての歴史を知ることの出来るこの島へも足を運ばないと、片手落ちだと個人的には思っている。12年前は北部海岸で発射赤筒のような筒が見つかっただの、土壌から基準値の数千倍の砒素が出ただの、戦争の傷跡はまだまだ生々しかった。当時は立ち入り禁止になっていた北部砲台も整備されて遊歩道のようになっていたし、発電場跡も土塁の内側、建物の前まで入れるように整備されていた。このような場所であるから、私が訪れた日の夕方も修学旅行の団体が到着していた。レジ袋のガサガサ音だけで猛スピードで集まるうさぎたちにエサをやりながら見たところ、近県の中学生。茶髪の子とか服装の乱れた子もおらず、いかにも真面目そう(勝手に見た目で判断)。引率の教官の指示にも従って、私語を止めたり整列したりしており、わりと好感を持った。しかし宿舎近辺の「わらわらズ」が集まる勢いが減り、なんとなーく「ご満悦」ポーズで寝そべる連中が増えてきても、まだ修学旅行組は荷物を持って宿舎の前で先生の注意事項を聞いている。...おい、まだ部屋に入れてもらえないのか...。夕食までのひと時、のんびりしようと部屋に上がり、窓を開けると「うさぎビュー」だが、ついでに「修学旅行ビュー」。自由行動をさせてもそんなに悪さをする子たちに見えないが、なんでこんなに管理的なんだ?だいたいこの島にはゲームセンターもカラオケボックスもコンビニもないのである。結局団体は夕食の30分ほど前にようやく解散、荷物を部屋に入れて大騒ぎをするほどでもなくいい感じに賑やかに夕食をとっていた。夕食後私が部屋に戻ると、またもや宿舎の前に団体が並んで座っている。ハンドマイクで教諭が何か喋っている。肝試しでもやるんだろうか?随分遅くまで外で何かした末、ようやく入浴をしたらしかった。翌日島内を散策していると、道々で会う夕べの修学旅行生たちが「こんにちは」と挨拶してくる。どう見ても根本的に真面目で健全なのである。今日は、修学旅行の団体があまりにも管理的で、ちょっと滑稽なほどだった、という話。