闘将逝く~FW R.I.P.(ウィリアムズGPエンジニアリングリミテッド)
スーパーGT富士、昨年に続きまさかの大逆転の興奮冷めやらぬ(ってもレースレポ読んだだけだが)夜中に突然の訃報がヤフーに上がった。今はもうチームとは無関係になってしまったが、ホンダ・ルノーと共に一時代を築いたウィリアムズ。グランプリ・エンジニアリング・リミテッドを興した闘将フランク・ウィリアムズ卿が11月26日に逝去したとの速報。 ドライバーズタイトルが起源のF1において唯一コンストラクターズタイトルに拘った闘将だから、43年(フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ時代を含めれば51年)に及ぶ活動の中で、コンストラクターズタイトルを獲得したマシンを。 1980年チャンピオンミニチャンプス1/43 ウィリアムズ FW07B フォード#27 アラン・ジョーンズ ウィリアムズに資金難は付き物。資金獲得のためにアラビア語を勉強して、中東マネーを直談判で獲得したのは有名なハナシ。アラン・ジョーンズはドライバーズタイトルも獲得。1981年チャンピオンミニチャンプス1/43 ウィリアムズ FW07C フォード#1 アラン・ジョーンズ 名機FW07系の戦闘力は3年目も衰え知らず、コンストラクターズタイトルを連覇。ドライバーズタイトルは、ドライバー2人をうまく制御できず最終戦でブラバムに掠め取られたが、闘将としてはマシンの優秀性が証明出来たから、さほど悔しくなかったのではないだろうか。1986年チャンピオンスパーク1/43 ウィリアムズ FW11 ホンダ#5 ナイジェル・マンセル ホンダと組んで4年目、ついにコンストラクターズタイトルに返り咲き。ドライバーズタイトルは、いつものように二人のドライバーのいざこざでマクラーレンへ。マンセルの戴冠はアデレードのタイヤバーストで夢と散った、その時のマシンがこれ。1987年チャンピオンミニチャンプス1/43 ウィリアムズ FW11B ホンダ#6 ネルソン・ピケ たとえドライバーが対立してチーム内の統率が取れてなくともチャンピオン連覇とゆーのは、マシンの設計開発がすぐれている証左、を地で行くよーなウィリアムズチーム。そもそも犬猿のマンセル・ピケを連続で雇うなよってシロートは考えるが、そこはスポンサーだのエンジンサプライヤーだのとのオトナの事情ってわけだね。1994年チャンピオンロム謹製F1スペシャルズ(タメオ)1/43 ウィリアムズ FW14B ルノー#5 ナイジェル・マンセル ホンダに切り捨てられて5年、そのホンダを完膚なきまでに叩き潰してのコンストラクターズタイトルに闘将は何を思ったろうか。時代の最先端を行くアクティブサス搭載FW14Bは、未だに記憶に鮮烈に残っている(けど、一番印象深いのは「ここはモナコ、モンテカルロ、絶対に抜けない」だったりけど)1993年チャンピオンロム謹製F1スペシャルズ1/43 ウィリアムズ FW15C ルノー#2 アラン・プロスト コンストラクターズタイトル連覇する者の、最強ハイテク武装マシンの呼び声の割には圧勝できなかったイメージ。多分センシティブすぎるマシンの挙動にドライバーが違和感を覚えたってか信用しきれなかったんだろうね、プロストが。マンセルみたいにあんま考えずに突っ走れるドライバーのほうが合ってるんだろう。1994年チャンピオンミニチャンプス1/43 ウィリアムズ FW16B ルノー#2 ナイジェル・マンセル アイルトン・セナを欠いた中で、主に興行上の観点から客寄せパンダ的に呼び戻されたマンセルの代打ホームランもあってチーム初の3連覇達成。時代は否応なしにシューマッハVSウィリアムズの構図に。1996年チャンピオンミニチャンプス1/43 ウィリアムズ FW18 ルノー#5 デイモン・ヒル テストドライバー上がりの苦労人デイモン・ヒルのチャンピオン獲得も、闘将としては「マシンがいいのに2年もかかりやがって」だったのかも。待遇改善を言い出した途端のチャンピオン放出決定も、ウィリアムズチームのお約束、ではある。1997年チャンピオンミニチャンプス1/43 ウィリアムズ FW19 ルノー#3 ジャック・ヴィルヌーヴ 闘将のドライバーに対する仕打ちに憤慨してエイドリアン・ニューエイまでもが離脱したものの、前年改良型の遺産を食いつぶすカタチでチャンピオン連覇。ジャック・ヴィルヌーヴにとってはまさに千載一遇のチャンスをモノに出来た賜物といえるだろう。 「優秀なマシンさえあればドライバーなんぞ誰でもよろしい」的信念の塊のよーなフランク・ウィリアムズ卿の哲学にはシンパシーを感じないが、その卿をもってしても何物にも代えがたいと恋焦がれた唯一人のドライバーのマシンを最後に。 あの世とやらにレースがあるなら、是非二人で1994年の続きをやって下さいな。フランク・ウィリアムズ卿 享年79歳 R.I.P.