レヴズ・インスティテュート5(シボレー・コルベット グランスポーツ)
昨年1月に「レヴズ・インスティテュート」に始まって、「ポルシェ718RSK」「ポルシェ911」「イーグル・ウェスレイク」と4回ほどシリーズを重ねたものの、意図あって19ヶ月も放置してきたシリーズの第5弾である。 既にシリーズ第一回目に顔を出しているにも拘らずここまでネタを引っ張ったのは、意図あって放置の言葉通り、コルベットC2と連チャンでネタ披露したいんでC2が入手出来るまで封印しとこうと思ってしまったからで、結果的に19ヶ月も経っちまったが決して忘却の彼方ってことじゃないのだ。2年近くもC2の出物はないかな?とネットを漁った結果、ようやくC2を”新車”で入手することが出来たからの今回のネタっつーのが事の顛末だ。 でもこうして「素の」C2コルベットとグランスポーツを並べてみれば、丁度R32スカイラインとBNR32GT-Rの関連性に近いといったら判りやすいか。但し32Rが絶賛の嵐に囲まれてじゃんじゃか量産されたのと違って、こっちはたったの5台しか製造されなかった。トゥルースケール1/43 シボレー・コルベット グランスポーツ0041964年セブリング12h 32位#3 デルモ・ジョンソン / デイブ・モーガン アメリカのレースでシェルビー・コブラの対抗馬として、C2コルベットを模したプロトタイプを更に軽量化しようと目論んでいたシボレーのエンジニアのゾーラ・アーカス=ダントフは、125もの試作案をプランニングしたが(この時点ではあくまで非公式プロジェクト)、その秘密計画がモタスポに理解のないGM上層部にバレて凍結された時点で、辛うじて完成していたのが僅か5台のグランスポーツだ。 64年のセブリングでトップフィニッシュのマイク・パークス/ウンベルト・マリオリ組のフェラーリ275Pから70周遅れの32で完走したこの#3号車はシャシーナンバー004で、これは63年のSCCA第9戦ワトキンズグレン(第7回グレン・クラシック)でグランスポーツに初優勝をもたらした車両そのものでもある。5台のグランスポーツはすべて現存し、C/N001、003、005は個人所蔵、002はフィラデルフィアのシメオネ財団自動車博物館で動態保存、004が我らが(?)レヴズ・インスティテュートで保存されている。トゥルースケール1/43 シボレー・コルベット グランスポーツ0041963年ナッソー・トロフィー・レース 4位#50 ロジャー・ペンスキー 時代は遡るが1963年の12月。チームクルーやドライバーの慰労を兼ねて、バハマ諸島ナッソーで毎年開催されたナッソー・スピードウィーク(公道レース)に参加したC/N004のグランスポーツ。ナッソーではこの期間中にたくさんのレースが開催され、グランスポーツはガバナーズ・カップ・レース、ナッソー・トロフィー・レースにエントリーした。12月1日開催のガバナーズ予選レースで、トラブル(オーバーヒート)に見舞われてDNS、その対策としてリアデッキにオイルクーラーを増設した。そして12月6日のガナバーズカップを3位、スピードウィークのメインレースである12月8日のナッソートロフィーでは4位でフィニッシュした。 同一シャシーなので、実車ではあり得ないツーショット写真。#3号車は12時間耐久レースにむけて、エンジンフードのバルジが冷却フィン状にモディファイされているのが興味深い。素のC2スティングレイは直線的でスリークなところがカッコいいけど、グランスポーツの如何にもビッグエンジン積んでますぅスピードパワーあるんですぅ的なアメリカン・マッシブなデザインも超クール、つかこっちのほうが好きだわ(笑)