北の湖が逝った
北の湖が逝った。本名小畑敏満君とは同い年、同じ中学校の出身だ。土地柄、中学校には近隣の相撲部屋から力士のたまご達がたくさん通っていた。どのクラスにも一人か二人は相撲部屋の子がいたものだ。義務教育なので、彼らは仕方なく学校に来ている感じで、勉強には興味がない。朝稽古をしてから来るためか、教室では良く居眠りをしていた。彼らは序の口とか序二段の階級で、給金は出ないのに、やけに羽振りが良い。当時はやっていたモデルガンを教室でひけらかしていたことを覚えている。いずれにせよ、クラスの一般の生徒からは浮いた存在だった。小畑君とは同じクラスになることはなかったが、学校の関取のたまご達の中では少しは知られた存在だった。そして彼は中学生のうちに幕下に上がった。そこからのとんとん拍子の出世は世間の知る通りだ。制度が変わったので、21歳2カ月という横綱の最年少記録はこれから破られることはないという。そんな大横綱を、私も陰ながら応援したものだ。「花のニッパチ北の湖」と言って、自己紹介で昭和28年生まれを印象付けたりもした。そんな話も昔話になってしまうのだろうか。花のニッパチ組の同窓生の冥福をお祈りする。