黒部に恋してる(1) 高熱隧道
デイリーポータルZ内の黒部ダム内部潜入についての記事を目にしてから、頭の中が黒部でいっぱいになっている太陽仮面です。
約7年の歳月と171名の殉職者を出した難工事を経て、黒部ダムができたのが1963年。
今年はちょうど50年になりますね。
そして黒部へとさらに私の心を引きつけたのは、吉村昭の小説「高熱隧道」でした。
これは黒部ダムの話ではなく、1941年に完成した仙人谷ダムをつくるための、工事資材運搬用トンネル建設を巡る話です。
んで、黒部ダムの話は「プロジェクトX」も「黒部の太陽」も未読・未視聴で、ついでに中島みゆきが紅白の時現場に行って歌っているところも観ていないため後回しにして、今回はこの小説についてお話をしたいと思います。
(というわけでここからは小説のネタバレありですので嫌な方はここで読むのをSTOP!です)
水力発電に適した黒部川には大正時代からいくつかダムと発電所が作られてきたのですが、戦争が始まったこともあり、関西方面へのさらなる電力供給が必要となりました。
そこで、さらなる上流部分に電源を開発しようと、大阪の電力会社である日本電力は仙人谷ダム及び黒部川第三発電所建設を計画することとなりました。
工事区間はダムを造る仙人谷から黒部川第三発電所予定地の欅平(けやきだいら)まで三つの工区に分けられ
・第一工区は加瀬組
(実際はどこがやってたのかは不明)
・第二工区は佐川組
(主人公の技師・藤平や上司の根津の所属している会社。北陸のゼネコンで、「トンネルの佐藤」といわれる佐藤工業がモデルだそうです)
・第三工区は大林組
(実存する大林組のようです→大林組の歴史サイト「おおばや史」)
がそれぞれ担当することになりました。
それで工事が始まり、第二工区と第三工区は比較的順調に工事が進むのですが、問題は第一工区。
第二工区でも日電歩道(正確には「水平歩道」)におけるボッカ(山道を荷物を背負って運ぶことを仕事にしている人)の転落が日常的に起こっていたのですが、第一工区ではそれに加え高熱の岩盤と噴き出す熱湯のせいで、あまりにも難工事のため人夫(作業員)や技師が次々逃げだしたこともあって工事が続行できず、とうとう加瀬組が放り出してしまいます。
それで困った日本電力が佐川組に第一工区も担当してくれとお願いするわけですが、困難が予想されていたにも関わらず日本電力が社運をかけた事業であったこと、また佐川組が自分たちの実績を作るチャンスと考えたこともあり、佐川組は今まで担当していた第二工区に加え引き受けることとなりました。
しかし工事は思った以上に難儀するもので、数十メートル掘っただけで岩盤の温度がたちまち上がってゆき、作業は困難を極めます。
そして「掘り進めれば岩盤の温度は下がるだろう」という専門家の予想を裏切り掘れば掘るほど岩盤の温度は上がり、現場に入ることさえ困難な箇所にたどり着きます。
当然作業している人は熱中症で倒れたりやけどになったりするわけでして、岩盤と人夫をポンプで汲み上げられた沢の水をかけて冷やし、さらに人夫に水をかける「かけ屋」の上からは水のシャワーが降り注ぐ、という構造をとって坑内の熱さを和らげるという策に出るのですが、それも効果は短時間だけ、熱湯と混じって人夫は温泉に浸かりながら作業をするという今ならば間違いなく労働基準監督署が黙ってないよな~なことになり、さらなる熱中症対策が必要に。
おまけに当時の法令に定められたダイナマイト使用可能温度を遙かに超える高温のため自然発火が起こり8人の死者が出ます。
前から富山県や富山県警も工事している労働環境が過酷であることは気づいていたようですが戦時下のことですから、黙認してました。
しかしここで、当然法令違反ゆえの事故が起きたのですから富山県も富山県警も厳しい態度をとりあやうく工事中止になるところでしたが、中央官庁からはおとがめなし、代わりに再発防止策を考えろということに。
暴発防止のため、ダイナマイトを熱伝導性の低いエボナイトの筒や割った竹を組んだものに入れ対策をとります。
それでダイナマイト関係はひとまずおさまったのですが、今度は「泡(ほう)雪崩」という激しい雪崩によって宿舎が対岸まで吹っ飛び、84名もの人夫たちが亡くなります。
それまでも数々の規則違反に厳しい目を持ちながらも結局見逃していた富山県警はさすがにこのときはたまりかねたのか、とうとう工事中止を命じようとするのです。
しかし、ちょうど日中戦争の最中でもあり国策としての工事だったこと、さらに犠牲者全員に天皇陛下からの御下賜金がきたということもあって工事は続行されるのです。
いや、本当に当時の菊の紋章には誰も逆らえないものだったのですね。
その後もいろいろ事故は続き、2度目の泡雪崩を元にした火災でまた多数の死者が出、遺族に遺体が引き渡された後に見つかった遺体をこっそり山に埋めるというむちゃくちゃぶり。
今ならば確実に内部告発が出て佐川組と日本電力、さらに巻き添え食らった大林組は倒産でしょうね。
それでそこからも困難は続きます。
岩盤の温度は最高165℃にも達し、次々でる犠牲者の遺体の様子に耐えられず技師の中にも発狂する人が出、それとは別に人夫たちの中でも出征する者が次々と出てきます。
最初に集めたスタッフはそれこそ熟練の人たちばかりだったろうに、さらに新しい人を集めて工事をするなんてそら、むちゃくちゃせんとできませんから、藤平たちを責めるわけにも行かないんですけどね。
もちろん藤平たちは人夫たちに働いてもらうためにいろいろ対策をとるのですが、依然他の場所では考えられない労働環境最悪の中で突っ走っていくわけですから、結果として人夫との間の溝が大きくなっていくわけです。
それにも関わらず人夫たちは仕事をし、ついには多くの犠牲の末に仙人谷から欅平までのトンネルは貫通したけれど、人夫たちの不信をとことん買った藤平たちは、人夫頭の忠告に従いこっそりと開通したばかりの坑道を通って下山する羽目になるのです。
なお、仙人谷ダムは全工区300名を越える犠牲(そのうち、佐川組請負工区での犠牲が233名)の末に1940年11月21日に完成したのですが、所有者である日本電力は戦争遂行のためにできた「電力国家管理法」という法律によって解体され、大半の土木技術者は国内外に散っていったのです。
と、ストーリーは以上で、この小説は作者本人があとがきに書いているようにほぼ(当時の認識で)事実に忠実にかかれていますが、実際は↓のようです。
仙人谷ダム
ちなみに現在は冷却用の導水管などで岩盤温度40℃前後に冷却されているようですが、地熱がたった70年で消えるほど甘いものではなく、メンテナンスなどで冷却が止まるとたちまち温度が上がるようです。
まー犠牲者の状況がかなりリアルに描かれていますし、労働安全衛生的にもむちゃくちゃな描写に不快感を感じる人には向いていませんが、そうでなければ純粋に小説として読んでも面白かったし、時折描写される黒部の景色の美しさは目に浮かぶようで、さらにKindle版もありますのでもし黒部に興味がおありでしたら一読されることをおすすめします。
あと、おまけ
・黒部川第三発電所は1940年8月に竣工、発電開始は1940年11月22日
・日本電力は日本送発電などに電力施設を現物出資させられ電力会社としては解体も、会社自体は他の事業をしながら1947年まで存在