コミュニケーションの大前提(「ひと」を大切にする姿勢)
コミュニケーションが大切であることは、もう何十年も前から言われてきていることです。公私に限らずコミュニケーションは求められますし、実際に有効です。近年はコミュニケーションに関する研究も進み、様々な方法を学ぶことができます。(例:アサーション、ソーシャルスキルの観点、傾聴技法など) しかし、私は近年のコミュニケーションに対する社会(多くの人々)の捉え方に、問題を感じるようになりました。実際、私もコミュニケーションの本質を見失っていたように感じています。その問題とは☆お互いがコミュニケーションによって幸せになる・生きやすくなる・効率があがるという原則に外れたコミュニケーション姿勢が多くなっているという点です。 「自己啓発(じこけいはつ)」「意識高い」などという言葉を耳にする機会は多くなりました。いずれも自分を高めて、自分が利益を得る為に良い方法です。また悩みを解決する為に、ソーシャルスキル(社会生活を円滑に送りやすくするための技術)を学び活用するという姿勢も、次第に市民権を得つつあります。それによって、活用する個人が生きやすくなり、利益を得やすくなります。 自分が利益を得る。幸せになる。これは非常に重要なことです。これをないがしろにする(いい加減に扱うこと)のは、自分の本心から外れることにもなり、おすすめはできません。ですが、最近のコミュニケーション活用の姿勢には、コミュニケーションの本質を見落としている面があります。それは☆人間にはお互い交流することで関係性ができあがり、関係性は共に良好になることで本当に良いものになっていく。自分だけ一方的に利益を得たり、幸せになるのは、実は難しい。という本質です。 「せっかく自分が苦労して、努力して、自分が幸せになるために言動するんだ。なぜ相手の幸せや利益もかなえないといけないのか!?」という声が聞こえてきそうです。気持ちはわかりますが、それでは結局関わる相手を、自分が幸せになる為の道具・手段にするにすぎないことになってしまいます。そしてそういう本音は相手に感じ取られてしまうことが少なくありません。 本当に皮肉なことですが、効果的に幸せになろうと努力した結果、むしろお互いを大切にできない、信頼関係が生まれない、親友やパートナーを得られない、家族仲が悪くなるなどのデメリットが発生してしまうのです。私も自己啓発的にコミュニケーションを活用しすぎていた最近の自分に気づきました。しかし真に効果的な姿勢とは、自分を第一にしながらも、自分と相手(つまり「ひと」)を共に大切にすることで、真のコミュニケーションができるようになる姿勢なのではないでしょうか?(注意)ただし、全員と真のコミュニケーションをする必要はありません。表面的な交流の方がいい場合や、コミュニケーションをしない方が良い場合すらありえます。