左から右に書く日本語はいつ出来た?
切手を分類していて、どれが古いものかを見分けるのに文字方向で判断しています。つまり「便郵本日」とあったら戦前物です。1946年(昭和21年)まで使われました。このように文字を右から左に書くのを「右横書き」(←向き)というそうです。店の看板やポスターなどで「ルーョチンキ」なんてのをみたことあるでしょう。これが「右横書き」。もともと中国から来た漢字は縦書きです。そして巻物を左に持って右手で引っ張るので左から右へと書き連ねていたのです。当時は筆書きなので手は紙にあたらず、汚れることもなかったのでしょう。一方、西洋ではペンによる横書きなので、右から左へ書いたら字は見えないし、紙や手はインクでベタベタになったでしょう。さて問題は、我が国では横書きの文書はどちらから書いたのかということです。横1行の場合は「右横書き」でした。つまり、縦書きに慣れていた日本人は、看板などに横書き文字を入れる時には「一行に一文字」と考えて右から左へ読むという習慣がありました。これは平安時代に現れ、終戦時まで使われました。ところが複数行の文書になるとどうだったか?これはオランダとの交易がきっかけのようです。江戸時代の蘭学関係の書籍に横書き風の文書があったようですが、だいたいは縦書きの和文に欧文や数字を縦に無理矢理入れてます。本格的な横書き文書が現れるのは明治になってから。欧米関係の書なので当然文書は左から右へ。明治から昭和にかけてのほとんどの横書き文献は今と同様に左から書かれていました。(ちなみに、すべて右横書きの図書はほとんど見られない)<これは明治4年発行の辞書の序文、日本初の横書き図書だということです>すると何が起こったかというと、「右横書き」のタイトルや見出しのある縦書きの文書と、左から書く横書き文書が町にあふれ、その混合文体まで出て混乱することになります。(中には、最初右から左へ書き、次の行で左から右へ書く文も登場?? これは エジプトのヒエログリフの牛耕式書法を真似たものか?)上の事例は大正の記事ですが、見出しと下に書かれた3行の説明文が「右横書き」となっています。その混乱の中、昭和8年には逓信大臣がこれを批判したり、すべて「右横書き」を推奨する運動も出たようですが、事態は収まりません。第二次大戦中には軍が作戦上の合理化のために左から書くように提議しましたが、当時は国粋主義者達の声が強く、「日本の伝統は右横書きである。米英崇拝するな!」という声に押されて左書き看板に抗議が殺到、「右横書き」が町を席巻することになります。これが収まるのは戦後です。欧米の翻訳文書が大量に出回るのをきっかけに、左から書くことが出版や広告、看板などにも広がり、昭和27年に「公用文の作成要領」が出されたことで「右横書き」は撲滅されたとのことです。なんとなく昔から「右横書き」があったと思い込んでいましたが、その遍歴を知る良い機会となりました。日本語学者の屋名池先生方がその遍歴を研究されていました。「横書き登場 日本語表記の近代」屋名池誠(岩波新書,2003こちらは文字印刷の視点から見た「左横書き」の遍歴です左横書き/モリサワ「日本語の組み方(2)欧文組み」