黒子のデザインという革命?
(映画「2001年」のモノリスはシンプルながら存在感ありすぎですが...)「住宅用設備の製品デザイン論的、思い出話」ちょっと専門的な話になりますが、先日の話の中に「革命を起こす」なんて大げさな言葉が出て来ましたが、これ冗談でなく、私らの会話では時々出て来たものです。それは、小手先の商品デザインではマンネリで過飾なモノしか生まないから、発想をひっくり返そうという意味で使ってました。そんな思い出話を。「売場に媚びる機器デザイン」私らの担当商品は住宅用の電気設備でしたが、こういったものは昔は電気屋さんが決めてくれたのですが、最近は家電売場で売られ、消費者が自分で選ぶようになりました。そのため、家電製品のデザインは店頭で目立つこと、他社と比較して見栄えすることが大前提となりました。それは実は消費者の声でなく、販売ルートからの声なのですが、メーカーは発注に影響するので販売店さんや量販店のバイヤーさんの声には過敏になってます。しかし目立ったり主張したりするデザインでは困る製品もあるわけで、建築家や住宅メーカーは、苦労して設計した空間をそんなもので壊されたくない。だから気に入らないデザインなら製品そのものを入れさせないし、どうしても必要なら箱を作ったりして隠さねばならない。それは皆さんにも経験あるでしょう?自分の部屋に合うデザインがない。でしゃばってうるさい形のものしかない。仕方なしに一番小さくて余計な飾りや色のついてない製品を選ぶ。 私も同じです。「デザインしないデザイン」だから私らは、住宅設備機器の形状は空間に馴染むことが第一義と考え、ある建築家に指導を仰ぎ、デザイナーでありながらデザインしない製品グループをデザインしてきました。黒子のデザインです。(これって当たり前の理屈なのに、何故かそうならないのが現実)つまり、壁や天井にごろっと突き出るような塊のデザインでなく、線や面のイメージを強調した形状で、空間の流れを妨げないようにしました。ところが当然として出来上がったデザインは棒状だったり、板で覆われていたりするわけです。こんなもの売れるワケない。どうやって売ればいいんだと事業部内では総スカン。聞く耳を持たないその人達を説得するのは、幕府に大政奉還を迫るようなものです。そこで我々は外圧を利用、建築家や住宅メーカーの設計者、インテリアコーディネータさんらを動員し、外堀から埋め始める。それにはながーい年月がかかりましたよ。今と違って事業部長や部長列がころころ変わる時代じゃなかったのも幸いしたのでしょう。なんとか商品化に至ったそのシリーズを恐る恐る発売したら、意外な程スンナリと市場に受け入れられ、品切れが出る程。量販店で山積みして売る商品でなかったのも幸いだったのでしょうが、現在もそのシリーズは続いています。「建築の視点からのデザイン」今の時代ではそんな流暢な方法はもう通じないでしょうが、馬鹿の一つ覚えのように高機能、高品質に頼ってきた結果が、海外勢への完敗です。同じ土俵で戦ったらパワーのある方が勝つ。製品づくりの原点に立ち返って、何が一番望まれているのかを見直すことで道が開ける分野が、まだまだあるように思うのですが...。生き抜くだけで精一杯の今の各メーカーに、製品をじっくり創れなどというのはきついかもしれませんが、使われる場をしっかりとらえたモノづくりで海外勢に差をつけないと、それこそジリ貧です。輸出比率の少ない住宅設備機器のジャンルなら、日本の住宅建築を知る日本人に利があるはず。もちろん単品デザインで育ったデザイナーに空間設計者と感性を共有せよと言うのはきついでしょうが、それをしない限り、創る側と使う側の平行線は永遠に交わりません。「単品デザインから空間の一部としてのデザインへ」存在感のない形状という「黒子のデザイン」への転換はまさに革命です。開発のコンセプトを180転換しなければ乗り切れません。日本のメーカーがそれに気が付き、動いてくれることを切に願います。「じゃ、いつ動くの?」、「今でしょ!」