萩の日向で
このところNHKは紅白や大河ドラマの宣伝にやっきになってましたね。「花燃ゆ」ではしょっちゅう萩が出て来ます。私も12年前の在職中に、この街をのんびり訪れました。会社の出張にかこつけての萩から秋吉台までの旅。山口での仕事を終え、山頭火が浸かって過ごした湯田温泉で一泊。時期的に人も少なく、誰もいない屋上露天風呂から見上げると上弦の月。初夏のなんとも寂とした風情。「寝床まで 月を入れ寝るとする」(山頭火)ぎりぎりまで寝坊して萩に向かう。萩はほんとうに何にもないいい町だと昔友人が語ってましたが、そのとおり、何もない。雑音、あわただしさ、苛立ち、現代の街が持ついやらしいものがない。それがすばらしい。しかも昔がある。歴史がある。人々の人生やドラマが染み出してくる町です。幕末の長州がそのまま今も息づいています。木戸考允、桂小五郎の生家の縁側に座して、案内のおばさんとしばし話し込みました。「床の間の壁が漆喰ですよね。めずらしいなあ。ふつうは聚楽壁でしょ?」「お金がかかるのよ、これは。」「木戸さんはこのとおり恵まれておられたけど、伊藤さんは貧しかったんですよ。でも乃木さんのほうがもっとびどいのよ。私は旅行で見てきたけど、四畳半一間に一家で住んでなさって、起きると寝具を紐で天井につるして食事をなさるの。」「なるほど、だから出世してもあんなストイックな生活を続けられたんでしょうなあ。」 「ところで、南のお国の庭は苔や植え込みがなくて白い土が剥き出しなんですね。あの太くねじくれた松は300年は経ってるね。」「そりゃあもう、当時のまんまですよ。それにあの敷き石はこの地方で取れる硬い石で、あれが使ってある家はほんとに古い家なんですよ。」などと来客のないのをいいことに、尽きることのない時間を過ごす。松下村塾の、吉田松陰らが自分達で増築した9畳間も、幽閉された三畳半の間も、その隣に立つ厠まで、じっくり眺めてきました。誰かと一緒だとぜったい味わえないマイペースの旅。貸し自転車で何度も行き来した表通りや、裏通り。骨董店の店先で時間をつぶし、民家の縁の下を覗き込み、海を眺めてぼんやりし、シーボルトの携帯ピアノに感心し、電気店のラヂヲの看板に魅せられ、ひとりの時間を思い存分楽しみました。次の日は萩に後ろ髪を引かれながら秋吉洞へ。小学校の頃に憧れた巨大な洞窟を40年経って訪問。これで思い残すことがひとつ、なくなりました。体力の限界で慌しく働く毎日の狭間に、ぽっかり出来た不思議な2日間。実にいい時間を過ごしました。